「墨汁一滴」「二日物語」

 正岡子規『墨汁一滴』岩波文庫1994年29刷から。

《 小生も追々衰弱に赴き候に付(つき)二十句の佳汁を得るために 千句以上を検閲せざるべからずとありては到底脳の堪ふる所に非ず候。  》 23頁

 よくわかる。お付き合いであっても駄目なものは見たくはない。茶道 について。

《 室(へや)の構造装飾より茶器の選択に至るまで方式にかかはらず 時の宜(よろ)しきに従ふを賞玩すべき事なり。 》 46頁

《 何事にも半可通といふ俗人あり。茶の道にても茶器の伝来を説きて 価の高きを善しと思へる半可通少なからず。 》 46頁

 言ってやりたいが、お偉い人ばかり。桑原桑原。

 「不平十ケ条」より
《  一、元老の死にさうで死なぬ不平
   一、いくさの始まりさうで始まらぬ不平
   一、日本画家に油絵の味が分らぬ不平  》 58頁

 1901年も2014年も似たり寄ったり。

《 露伴の『二日物語』といふが出たから久しぶりで読んで見て、露伴が こんなまづい文章(趣向にあらず)を作ったかと驚いた。それを世間では 明治の名文だの修辞の妙を極めて居るだのと評して居る。各人批評の 標準がそんなに違ふものであらうか。 》 67頁

 幸田露伴『二日物語』を読んでみた。西行が主人公。和漢混淆の嫋嫋たる 韻文が連綿と続く。前半は崇徳天皇の怨霊との対面。後半は深夜の観音堂 での尼僧となった妻との遭遇。出家する妻が叔母にあずけた幼娘の不遇。 現代人には到底書けない文章だ。正岡子規幸田露伴それに夏目漱石は 1867年生れの同い年。

《 西行かすかに眼(まなこ)を転じて声する方(かた)の闇を覗( うかがえ)へば、ぬば玉の黒きが中を朽木のやうなる光り有(も)てる 霧とも雲とも分らざるものの仄白く立ちまよへる上に、其様異なる人の 丈いと高く痩せ衰へて凄まじく骨立ちたるが、此方(こなた)に向ひて 蕭然と佇めり。 》 『二日物語』、「此一日(このひとひ)」其五、 冒頭

《 弓張月の漸う光りて、入相(いりあひ)の鐘も収まる頃、西行長谷寺に着きけるが、問ひ驚かすべき法(のり)の友の無きにはあらねど 問ひも寄らで、観音堂に参り上りぬ。さなだに梢透きたる樹々を嬲(なぶ) りて夜の風に誘(いざな)へば、はらはらと散る紅葉なんどの空に狂ひて 吹き入れられつ、法衣(ころも)の袖にかゝるもあはれに、又仏前の 御灯明(みあかし)の目瞬(めはじき)しつゝ萬般(よろず)のものの 黒み渡れるが中に、いと幽かなる光を放つも趣あり。 》 『二日物語』、 「彼一日(かのひとひ)」其二、冒頭

《 漱石が倫敦(ロンドン)の場末の下宿屋にくすぶっていると、下宿屋の お上さんが、お前トンネルといふ字を知つてるかだの、ストロー(藁) といふ字の意味を知つてるか、などと問はれるのでさすがの文学士も返答に 困るさうだ。 》 128頁

《 しかし田舎も段々東京化するから仕方ない。 》 132頁

《 この時余が驚いた事は、漱石は、我々が平生喰ふ所の米はこの苗の実 であることを知らなかつたといふ事である。 》 133頁

《 如何に理窟づめに出来上がった者でも感情が美と承知せぬからには 美とはいはれぬ。 》 139頁

 怖いものなしの論調、八面六臂の活躍、すごいわ。

 午後、三島バルの併催イベントで十五人ほどを中心商店街の裏道路地裏へ 案内。一時間半のんびりと歩く。心地よい陽気。二基の旧給水塔、様々な ブロック塀、意外な所に現れる用水路に群れる川魚などが特に好評。無事終了。 やれやれ。来年もお願いしたい、と言われる。う、言葉が詰まる。
 http://mishima-bar.net/

 ネットの拾いもの。

《 「メランコリー」って長ったらしい言葉だよね。日本語なら「鬱」 一文字で済むのに。なんて思ったものの、画数おおいな。確認してみたら、 29画もある。メランコリーなら半分もない。どっちもどっちだ。 》