昨日入手した川路柳虹詩集『波』西東社1957年を読んだ。四十頁に満たない詩集は、 「波」と「火の頌歌」の二篇からなる。
《 この詩集は終戦後にかかれた作品のなかから選まれた二篇である。 》 「あとがき」
「選まれた」は「選ばれた」の誤植だろう。他にも誤植が見られる。 「波」から。
《 美に慄ふ眼(まなこ)が、危うさを愛するやうに、
輝きのなかに凡てを把握しようとする力よ。 》
《 おまへは処女の羞(はじら)ひと青年の夢との
組み交はす不断の組織、朽ちざる細胞、
翼のない不死鳥、力の内在する磁極。 》
「翼のない不死鳥、力の内在する磁極」に深沢幸雄への影響を感じる。
ランボオらの影を感じるが、ピンとこなかったのは、感受性の衰えのせいか。
午前中はグラウンドワーク三島主催の「第2回まちづくりリーダー育成コース」、 体験学習の源兵衛川体験(草取り、ゴミ拾い)のお手伝い。水の苑緑地に繁茂している ナントカという外来種の草を二十人ほどで除去。短時間でこれほどの成果を得るとは。 数の力を実感。
昨日の仏の里美術館訪問で四人全員がどよめいたのが、裏手にあった壊れそうな二階建て。 土壁は、土が殆ど崩れ、竹の骨組みが露出している。その崩れ具合がなんとも素晴らしい。 なのにまだ物置きだろうか、使われている。トマソン寸前の、これぞ現代アート! と叫びたくなる。私は使い捨てカメラで、ほかの三人は携帯で写真に撮った。一人が つぶやいた。「アートと思う人、何人いるかなあ」
《 その家の人々にとっては誇りたくない性質のものである。 》 赤瀬川原平 (28日のブログを参照)