「 するがのくにの芸術祭 」

 『するがのくにの芸術祭』、東海道線本線新蒲原駅周辺の展示を友人知人と 誘い合って見て回った。駅を出て鉄道ガードを潜り、旧国道を西へ歩いて五分。 よし川で昼食。そこに展示している十時孝好(ととき・たかよし)作品から見てゆく。 よし川のご主人が途中まで案内してくれる。廃れた映画館、旧蒲原映画館に皆 (男二人女三人)おーっと驚く。廃屋の二階、映写室は栄華の名残り。二台の 映写機はそのままに遺り、『ニュー・シネマ・パラダイス』そのままの佇まいだ。 一室をこのまま保存したいと言う友だちにうなずく。こんな歴史的遺産を 背景にすると、現代アートが添え物にしか見えなくなってしまう。旧五十嵐邸は 登録有形文化財の元歯科医院。こちらは手入れが行き届いていて心地よい。 展示に貸している他の建物も往時の風情そのままに残り、作品よりも背景へ目が 向かう。と言ってはいけないか。それにしても、うららかな金曜日の昼下がり、 道行く人は……見当たらない。走り行く車の影はどこに。あ、発見。 のんびり歩くのがじつに楽しいのどかな町。パン屋はあっても喫茶店が見当たらない。 しかたなく駅向うのイオン・モールにあるマクドナルドでコーヒー。
 http://fujinoyama-biennale.com/

 それにしても(美術とは関係なく)探しているときには見つからず、忘れかけて ふっと思い出し、ネット検索すると探求本が複数見つかる。何だろう。高校時代に 読んで手放した本を再読したくなって探求、何年だろう。昨夜何気なく検索したら あっさり見つかった。それも複数。昔読んだ本は1967年の再刊らしいが、初刊の 1957年2刷の本を先だって見つけて注文したばかり。再刊の本で読みたいが、 四百円出してまた買うこともない。読めればいいや。で、思い出したのが出久根達郎 『古本夜話』ちくま文庫の「カバヤ文庫」。

《 私はうけあい、ようやく三冊みつけて社長に渡すと、社長が首を振った。
  こんなチャチな本じゃない。本屋さんはまちがっている。もっとぶ厚い、 どっしりした立派な本だった。これは全然ちがうよ。
  貧しかった子供の目には、確かにそう見えたにちがいないのである。 》

 私の探求本はハードカバーだった記憶。手元の初刊本はチャチな本。 記憶の本で読みたくなる。因果な性分だ。

 誠に果報は寝て待て、だと思う。近く届く予定の深沢幸雄の表紙絵の文庫本二冊。 欲しい!とパソコンの後ろの壁に著者と題名と文庫名を書いた紙片を貼って半年余り。 見つからんだろうなあ、と半ばあきらめかけていたが、偶然ネットオークションで発見。 画像で確認。私一人入札。送料を加えても一冊五百円未満。表紙の絵のために買うとは、 これいかに、なんて全然思わない。コレクター魂じゃ。

 ネットの見聞。

《 私にとってデッサン(素描、写生、スケッチ)とは「自分の外にあるもの ――特に、自分以外の生命、生命的な傾向のもの」を、どう感受するのかを確かめる、 あいまいな時間を伴った手作業です。 》 福山知佐子
 http://chitaneko.cocolog-nifty.com/blog/2014/11/index.html#entry-96955764

《 大正期を頂点として、日本画はどんどん駄目になりました。 》 宮本和英
 http://togetter.com/li/744496

《 延岡市にある宮崎地方裁判所にいまから行って来ます。 》 黒木睦子
 https://twitter.com/mutsukuroki