「 人間科学講義 」

 養老孟司『人間科学講義』ちくま学芸文庫2008年初版を読んだ。オツムをガラガラポンに してもう一度組み立てないと、よくワカラン。でも視点の転換、これは面白い。

《 だからもちろん「人間という普遍的尺度」は「科学的に」「客観的に」 規定されなくてはならない。ただしその科学が物質・エネルギー系だけを 対象とするなら、人間活動の大部分が抜け落ちてしまう。だからそこに「情報」を 含めるべきなのである。したがってここでの人間科学は、物質・エネルギー系に 加えるに情報という視点から、人間を考えることになる。 》 第一章「人間科学 とはなにか」27頁

《 こうして、ヒトは二種類の情報世界を生きている。一つは脳とその情報の世界 あるいは意識的な世界であり、もう一つは細胞と遺伝子の世界、つまりほぼ完全に 無意識な世界である。換言すれば、脳の世界はいわゆる心や精神、社会や文化の 世界であり、細胞と遺伝子の世界は身体の世界である。そう思えば、情報という 新しそうに見える概念から見ても、伝統的な見方で見ても、ヒトの世界が心身に ほぼ二分されることは同じである。 》 「第二章 ヒトの情報世界」33-34頁

 以下、第三章「世界は二つ」、第四章「差異と同一性」、第五章「生物学と情報」で、 脳の二元的な見方が論述される。これは理解が難しかった。内容は簡単なんだけれど、 旧弊の常識にとらわれているオツムをバラさないと。しかし、すごく刺激的で興奮する。 第四章「差異と同一性」から。

《 きわめて一般的な見方をするなら、対象を固定したもの、すなわち同じものと 見ているとき、それは「情報として見ている」といっていい。逆に違うものを見ているとき、 それは「実体として」見ているのである。 》 76頁

《 じつは情報と実体という区分は、より一般的には同一性と差異という話題に帰着する。 「情報は固定している」から「同じ」だが、実体は「万物流転」しているから「違う」 のである。 》 80頁

《 私は自分の主張を、いわゆる「正しい」という意味で述べているつもりはない。 私の主張はあくまでも「見方」であって、そうした見方を採用することによって、 どういう視点が開けるかを示そうとしているだけである。 》 第五章「生物学と情報」 96頁

 一読ではなかなか理解ができぬこのオツム。老化硬化現象か。後半は第六章 「都市とはなにか」、第七章「人とはなにか」、第八章「シンボルと共通了解」、 第九章「自己と排除」、第十章「ヒト身体の進化」、第十一章「男と女」。後半は すらすら読める。

 昼過ぎ、雨が上がったので歩いて近所のパン屋へ。うわさに聞いていた初めての店。 通りから奥まって、ガラスの引き戸に小さく「OPEN」。ウェブサイトでは二十種類 近くがきょうの商品にあったが、ガラスケースの上段には十種類ほどのパンが淋しく。 十二時開店で早く売り切れる聞いていた。持ち重りのする二種類を購入。おやつに賞味。 自家製酵母パンだ。すっごく美味しいということはないが、また食べたくなる。

 最近、2010年代はパン屋、洋菓子屋が隆盛という気がする。三島市沼津市裾野市函南町ではつぎつぎと開店している。洋菓子は、清水町と長泉町の店のチーズケーキが好き。 パンはあまりこだわらない。
 商売の隆盛には時代の波がある。三島市でいうと1980年代はブティックの時代、1990年代は 美容院の時代、2000年代は整骨院の時代。2010年代はパンと洋菓子(スイーツ)の時代かな。

 ネットの見聞。

《 谷川俊太郎「 1対1」 》
 http://politas.jp/articles/253

《 かつての自民党政権は列島住民の雇用を確保し、飯を食わせることを主務とする 「国民政党」たらんとしていましたけれど、現在の自民党は限定された支配層の既得権益を 維持するための政治装置に変質してしまいました。 》 内田樹
 http://blog.tatsuru.com/2014/12/10_1617.php

《 人間社会が健全に機能し存続するためには、既存の価値や疑われることのない諸前提を 根本から考え直し、社会を再度価値づけし直す機会を持つ必要があります。 》 平川克美
 http://toyokeizai.net/articles/-/45363?page=3

 ネットの拾いもの。

《 生活費に占める書籍代を示すホンゲル係数も非常に計算したくない数値だが、 自分の全蔵書における読んでない本の割合を示すツンデル係数は絶対に計算してはならない。  》