「 唯脳論 」再び

 養老孟司唯脳論青土社1998年31刷を再読。今回付箋をつけた箇所から。

《 では、なぜヒトは脳つまり「構造」と、心つまり「機能」とを、わざわざ分けて 考えるのか。それは、われわれの脳が、そうした見方をとらざるを得ないように、 構築されているからである。唯脳論は、そう答える。 》 32頁

《 小さな計算機にさしたる能力がないからといって、これを原始的な脳だと 考えるのは、その意味からすれば徹底的な誤解である。それは、私たちの脳の 最新部分のさらなる延長なのである。 》 88頁

《 一方、理性はともかく、自由意志とか良心が動物にあるとかないとか 言ったところで、自分の意思や良心ですら、あるのかないのかはっきりしないのが、 日本人だろう。 》 126頁

《 もっとも、下手なドイツ語読みなら、同じ文章を繰り返し読まされる。 分離動詞があるからである。楽譜を斜め読みするいい加減な演奏というのがあれば、 どんな音楽ができるか。これが本当の変奏曲か。 》 190頁

《 われわれの脳に運動に対するなんらかの「理解可能性」があらかじめ前提 されていなければ、力学が生じるはずがない。 》 251頁

《 ヒトのさまざまな思想が、最終的に統一可能か。私は、いっこうに心配 していない。所詮脳は脳であって、一つのものである。 》 254頁

《 性と暴力とはなにか。それは脳に対する身体の明白なる反逆である。 》 257頁

 257頁の上記文章を含む最終章「脳と身体」は、じつに過激な展開で瞠目。 この一章はまた読み返すだろう。

 ネットの見聞。

《 ノートの表紙から昆虫が消え、子供向けの読物からは「死」が取り除かれる。 「推理物なのに殺人が起こらないのがすばらしい」とPTAにほめられた、などと聞くと 殺人必須派の探偵小説家としては切ないものがある。 》 芦辺拓

《 原子力規制委員会は「緊急時の作業員の被曝許容量の引き上げ」「フクイチ汚染水の 海洋投棄の可能性」「高浜原発審査書案の決定」等、次々と「攻撃」を仕掛けてくる。 偶然か、それとも時期を狙っているのか。何れにしても、毎週の傍聴は欠かせない。 「報道されてなかった」は言い訳にならない。 》 春橋哲史
 https://twitter.com/haruhasiSF

《 まことに世の中に悪政ほど「はためいわく」なものはありませんね。 》 内田樹

 ネットの拾いもの。

《 ゲラをチェックしていて「天の配剤」を「天の采配」と間違えていた自分に気付く。 またひとつ恥を知り、またひとつ賢くなった。 》