「 名づけられぬもの 」

 サミュエル・ベケット『名づけられぬもの』(『新集 世界の文学43 クノー  ベケット中央公論社1973年2刷、収録)を読んだ。『モロイ』『マウロンは死ぬ』 に続く第三部。

《 しかしながら棒杖の時代は永遠に過ぎ去って、ここでわたしがあてにできるのは 厳密にわたしの身体だけななのだ、ほんのちょっとも動けないこのわたしの身体、 しかも、バジルとその一味の話によると昔はそうではなかったということだが、 目を閉じることがもはやできず、したがって見たり見られなかったりするのをやめて 休息することもできなければ、ただ単純にわたしの眠りを助けるわけにもいかず、 そのほか開かれたままなのはいいとして、そらすことも伏せることも空を見上げる こともできず、大きく見開いたまま一点に集中して、そのすぐまえの短い廊下、 時間の九十九パーセントはなにひとつ起こらない短い廊下を絶えずじっと見つめて いなければならないのだ。 》

《 マーフィだのモロイだのそのほかマローヌだの、ああいった連中にわたしは ごまかされてはいない。 》

 昨日記したように、ここでもベケットの作中人物。マローヌはマウロンのこと。 岩崎力のこの訳ではマローヌとなっている。

《 だまされなかったこと、それはおそらくわたしのもった最上のものであり、 わたしがなした最上のことなのだ、だまされまいとし、だまされてはいないと信じ、 だまされていることを知り、だまされていないことにだまされることなく、 だまされている。 》

 独白のもってまわった長い一文が延々と続く。多重人格のような独白。

《 われわれは結局のところ何人なんだろう? だいいち話しているのは誰 なんだろう? それにいったい誰に? なんのことを?  》

《 わたしはいまいったいなにを言いつつあるのだろう、わたし自身自分で それをたずねているところだ。 》

《 わたしの生涯には、というのもそう呼ばざるをえないからだが、三つのことが あった、話すことの不可能性、黙ることの不可能性、そして孤独、言うまでもなく 肉体的な、それでもってわたしはなんとかやってきたのだ。 》

 結末近く。

《 彼はわたしを自分のなかに感じる、そこで彼はわたしはと言う、まるで わたしが彼であるかのように、あるいは別の誰かのなかにわたしを感じる、 すると彼はマーフィとかモロイとかそのほかもう忘れてしまったが、そんな名前を 名乗る、あたかもわたしがマローヌであるかのように、 》

 結末らしい結末はなく、途中で終わる。この三部作、今だから読み通せた。

 ネットの見聞。

《 この国では、重要な事は選挙の後に出てくる。 》 春橋哲史

《 総選挙協力功労賞:すしでご馳走します。17日首相動静、夜すし店しまだ、 時事・田崎論説委、朝日・曽我編集委員、毎日・山田編集委員、読売小田論説主幹、 日経石川常務、NHK島田解説委員、日テレ粕谷解説委員長。米国ではまずない現象。 恥ずかしげもなく鮨食いに行く、安倍に飼われる隷属軍団。 》 孫崎享

 ネットの拾いもの。

《 五黄土星で、手には覇王線と神秘十字線と仏眼があり、 千里眼と邪視と万華鏡写輪眼が使えるのに、なんで宝くじが当たらないのか…  》