「 元日 」

 昨日はきれいな夕日だったが、午後七時半には雨。ま、早。一年の煩悩を 洗い流してくれたかも。今朝はおかげで天気晴朗。

《 この機会に、満州事変に始まるこの戦争の歴史を十分に学び、今後の日本のあり方を考えていくことが、 今、極めて大切なことだと思っています。 》 天皇陛下の新年の感想
 http://www3.nhk.or.jp/news/html/20150101/k10014381931000.html

 今年初のお買いものはブックオフ三島徳倉店。文庫本を七冊。安藤鶴夫『わが落語鑑賞』 ちくま文庫2002年3刷、大倉崇裕『丑三つ時から夜明けまで』光文社文庫2013年初版、北森鴻 『緋友禅』文春文庫2006年初版、木島俊介『女たちが変えたピカソ』中公文庫1998年初版、 竹内真『シチュエーションパズルの攻防』創元推理文庫2013年初版、ジェラルド・ダレル 『虫とけものと家族たち』中公文庫年2014年初版、日本SF作家クラブ・編『日本SF短篇 50 1963-1972』ハヤカワ文庫2013年初版、計二割引、604円。

 ブックオフの斜向かいの蕎麦屋、大晦日までは蕎麦屋だったけど、きょうはイタリアンの看板。 まだ開店していないが、外装はそのままの和風……。和風イタリアン? んなことねえだろ。

 年越しの思案。田村映二氏から戻ってきた赤瀬川原平『睡眠博物誌 夢泥棒』 新風舎文庫2004年初版の元本は1975年に出た。松田哲夫の解説「赤瀬川原平 表現史のターニングポイント」から。

《 硬質なタッチで、シュールな世界を描くイラストは、加熱する政治運動の季節を背景に、 若い読者たちに受け入れられていった。そのイラストのエッセンスが、この『夢泥棒』には収録されている。  》

《 それにしても、この奇妙な本は、なぜ、この時期に書かれなければならなかったのだろうか。  》

《 こういう視点で『夢泥棒』を読んでいくと、赤瀬川原平という一人の作家が、 アヴァンギャルド芸術から言葉の表現に移行していく様が、くっきりと見て取ることができる。  》

 この解説では『夢泥棒』のイラストについては、上の引用以外には書かれていない。私は 文章よりもこの白黒のペン画にぞっこん。底無しの黒暗孤独。寄る辺なき海の白昼の暗黒。 「シュールな世界を描くイラスト」なんてものじゃない。ダリもエルンストも裸足で逃げ出すほどの 迫力がある。千葉市美術館での赤瀬川原平展にこの原画は展示されたのか気になるところだが、 これは原画よりも印刷によって完結するイラスト=絵画だ。宇野亜喜良と同じだ。印刷によって、 白面と黒面が明瞭に分別される。凄い絵だ。特異な傑作だろう。

《 赤瀬川さんは、当時、白土三平さん、水木しげるさん、つげ義春さん、滝田ゆうさんなどが 傑作を発表し続けていた「ガロ」に影響をうけ、独自の漫画的作品を描くようになる。 》

 その到達点が、この『夢泥棒』前半の「睡眠海岸」「睡眠旅館」「睡眠階段」のイラストだ。 「海の墓」「睡眠ブランコ」「湿気工場」「(凸起=凹眠)心臓が怖い」「ニュートンはまだ考えている」 「縛られた年月」「忘れられた原因」「底が見えない」「重力と努力」「星を見る地球人」 「天体は自転する」「真空の空 - 孤独な空間」「眠いエレベーター」「記憶は軸の外へ消えていく」 そして表紙に使われている「隠れている光」。「辺境はちぎっても痛くない」はサルバドール・ダリの、 「目の中に閉じた爆弾」はローラン・トポールのその先のよう。底の底を突き抜いて、 赤瀬川原平は底なしの暗黒を反転、次の段階へ。そんな経過を思わせる本だ。
 以前書いた拙文。
 http://d.hatena.ne.jp/k-bijutukan/20100729

 そして洋画家安藤信哉(のぶや)の絵の意義について。足立元『前衛の遺伝子』ブリュッケ2013年、 笹木繁男『ドキュメント 戦後美術の断面』現代美術史料センター2014年を読んで、(さらには松田道雄 『ロシアの革命』河出書房新社1970年を読んで)歴史の読み替えへの熱い意欲を正面から身に受けたが。 前者の「はじめに」冒頭。

《 近代日本における前衛芸術は国粋的なイデオロギーを軸とする、反逆と従属の大きな振り子の中で生成・ 消滅した。 》

 後者の「はじめに」から。

《 それは、具体美術以前の作家に焦点を当て、ここでは戦中から戦後へ、海外渡航、戦後美術の出発、 反戦、反アカデミズムの何れかの項目に該当する作家を選別したためで、》

 ここには安藤信哉の出る幕はない。しかし、まともな美術家事典に安藤信哉の名が記載されていない本を、 私の管見の範囲ではあるが、見たことはない。生涯画商がつかなかったにもかかわらず、だ。 そこには日展の参与という地位だけではない、落とせない何かがある、と私は思う。 近代・現代美術史を述べるのに、芸術運動に携わった芸術家群像の肖像だけでは掬いきれない美術家、 作品がかなりある、と思う。後世に伝わるのは、結局は作品である。私は後世へ伝えるために 安藤信哉の絵を保管している。画商が「先生の絵は売れません」と言ったという絵を。没後三十二年。 晩成した絵の何と新鮮でモダンなことだろう。時代をはるかに先駆けていた画家だと思う。
 http://web.thn.jp/kbi/ando.htm

 さて、きょうから(?)一年イギリスへ妻子連れで留学する足立元の『前衛の遺伝子』、「あとがき」から。

《 さらに、本書が扱った時代より後の出来事についても、調査を進めて形にしたいと思っている。 たとえば、六〇年安保闘争と美術の関わり、七〇年前後の学生運動と美術の関わりというテーマである。 》

 一九七〇年を渦中に生きた者として興味津々。その同時代を生きながら、黙々と絵画に打ち込んだ安藤信哉。 時代の影響をほとんど感じさせないように見えるが、果たして。安藤信哉の昭和十五年、戦時中の絵はじつに興味深い。 世間は狭いが、世界は広いのだ。