「 先駆者 」

 昨日の『オッド・ジョン』、教養小説ともコミューンの建設小説とも読める。ザ・ピーナッツの歌う 『 EPITAPH(墓碑銘)』が、コミューンの最期を想起させる。一吐息。
 https://www.youtube.com/watch?v=0gx_F-HzZtk

 作者オラフ・ステープルドンは1950年に亡くなっている。この1977年初版のハヤカワ文庫、 荒俣宏の解説から。

《 (そしてステープルドンの真の位置付けをめぐる再評価運動の火がともったのは、 英米でもごく最近の出来ごとに属する) 》

 四半世紀後の再評価。ゼンメルワイスを連想。『対論 脳と生命』での養老孟司の発言。

《 とっくにできているけど、実験している人自体がそれを自分で認めないんです。 これは医学の歴史ではずっとあることだけれども、たとえばゼンメルワイスの、滅菌・ 消毒の手法がやはり認められない。 》 42頁

《 註35 ゼンメルワイス(一八一八〜六五) ハンガリーの医師。塩化石灰水で手を洗う ことによって産褥熱を予防できるとする説を発表したが、ほとんど黙殺された。ウィーン 近郊の精神病院で亡くなる。 》

 北一明を連想。『北一明芸術の世界』主婦と生活社1987年から。

《 少なくとも、過去のある時期に生まれたやきものを、最高なもの、頂点を極めたものと 考えるのが、わが陶芸界の、作家はむろん、とりわけ鑑賞家の一般的傾向である。
  いわく、宋代官窯青磁、桃山期の美濃茶陶、…………。
  そして、現代の作陶は、この最高峰におよぶべくもないということを、暗黙の前提にして すすめられている。(中略)
  思えばおかしなことである。他の美術分野では、こうしたことはありえないことだろう。(中略)
  この批判には、北さんは耀変の再現で応える。私には、まことに皮肉に思えるのだが、 北さんは、一見自虐的とも言えるほど、徹底して〈わざ〉の域をみせる。ここに至ると、 宋代の曜変天目でさえも、北さんにとっては単なる造形の手段にすぎない、 と言わざるをえないだろう。 》 竹内順一(五島美術館学芸課長)

《 一つの物体にいろいろな施釉技法を併用して作られた北君の抽象陶芸が、従来に見られない 造形の魅力を見せてくれていることだけは、このさい是非とも一言しておく必要がある。 》  安藤次男(詩人)

 木版画絵師小原古邨は、没後五十年余の再評価だ。金沢市に生まれ1945年に東京で亡くなっている。 最初の回顧展は1998年10月〜11月、横浜にあった平木浮世絵美術館の「小原古邨 西洋で愛された花鳥画」展。 会期後に知って図録を買い求めた。下図、画稿、試摺、版画と並べられていて、制作過程がよくわかる。 画稿と版画で鳥の数が違っていたりして面白い。展覧会は、伝え聞くところ閑古鳥が鳴いていた、とか。

《 古邨を評する時必ず「輸出用」という言葉が用いられる。それには、欧米での日本趣味に乗じて多数 制作された、芸術的評価に値しない作品というニュアンスが感じられる。 》 森山悦乃 図録より

 小原古邨に関する拙文をネットで発掘。
《 「浮世絵芸術」昭和10年第一号(新年号)の「現代版画座談会」では
  (A)花鳥では祥邨(古邨の後称)氏の独占ですね。
  (D)あれだけやる人は他にゐませんよ。
  (B)外国にはずい分売れると聞いていますが……   》

 1998年当時、地元の石川県立美術館は彼を知らなかったとも聞いている。2001年にはオランダ・アムステルダム 国立美術館で大規模な回顧展が開催された。美術館は現在307点を収蔵。展覧会に合わせて全画集が オランダで刊行された。何年前だったか、千葉市立美術館へ赴き、収蔵品の古邨を調べた。 四十点余りあったが、これは、という作品はなかった。ちょっとガッカリ。
 http://web.thn.jp/kbi/koson.htm

 朝からドカンドカンと衝撃音。御殿場の南富士演習場の砲弾演習だろう。 これほどの衝撃は珍しい。この時季ならではの壮麗な落日。

 ネットの拾いもの。

《 凡庸に生きていくシアワセを噛みしめる今日このごろ。 》

《 今年もあと360日を切った。 》