「 小夜子の魅力学 」

 泣き出しそうな曇天。郵便局で当選した年賀葉書で切手を受け取る、余った葉書を切手に交換。 原則年上の方に年賀葉書を出すので、数は年々減ってゆく。寒空を見上げる。雨が降ってきた。 ネットで氷山のひっくり返る画像を見る。そんなこともあるんだ。世界は広い。
 http://labaq.com/archives/51842789.html

 北一明の茶碗、氷華紋の天目茶碗を手にとって鑑賞。氷の薄い切片が幾重にも重なっているように 見える。これだけ重なっているのはオレしかできない、と北一明は生前、自慢していた。彼の茶碗を 手にしていると、彼の言うとおり、茶碗は最終目的ではなく、研究途上のテストピースだという発言に 妙に納得する。茶碗は、その先へ到達するまでの里程標だ。民芸ファンが陥りやすい感傷陶器ではなく、 また観賞陶器でもなく、鑑賞陶器だ。茶碗にどこまで新たな魅力=美を加えられるか。

 女優轟夕起子の研究家、大阪の山口博哉氏から恵まれた個人誌『月刊 トドロキ・ユキコ』を手に ふとパソコンを見ると、あれ、ご本人の映像。
 http://videotopics.yahoo.co.jp/videolist/official/movie/p74b9022088c092cf1207522aab0a0f29

 ネットの見聞。

《 あの「虚ろ船」がフランスUFOサイトに取り上げられていた!なんか下のちょんまげ男性と 中の金髪美人宇宙人?のイラストが面白い!今では宇宙人と小型UFOではなくあの「秦氏」説もある 虚ろ船ですよね。 》 佐々木アンジェ
 http://ovnis-direct.com/un-intrigant-conte-japonais-sur-les-aliens.html

 滝沢馬琴『兎園小説』、「うつろ舟の蛮女」より。

《 上より内の透き徹りて隠れなきを、みな立ちよりて見てけるに、そのかたち異様なるひとりの 婦人ぞゐたりける。そが眉と髪の毛の赤かるに、その顔も桃色にて、頭髪は仮髪(イレガミ)なるが、 白く長くして背(ソビラ)に垂れてり。(中略)迭に言語(コトバ)の通ぜずば、いづこのものぞと 問ふよしもあらず。(中略)この事、官府へ聞けあげ奉りては、雑費の大かたならぬ、かゝるものをば 突き流したる先例もあればとて、又もとのごとく船に乗せて、沖へ引き出しつゝ推し流したりとなん。 もし仁人の心もてせば、かくまでにはあるまじきを、そはその蛮女の不幸なるべし。 》  『日本随筆大成〈第二期〉1』吉川弘文館1973年初版、279-280頁

 本に掲載されている同様の図では、上部は「硝子障子 外ハチヤンニテ塗タリ」。底は「長サ三間余」 「鉄ニテ張リタリ」とある。ネットにあった。
 http://www.geocities.jp/sybrma/421utsurobunenobanjo.html

《 画期的なアンソロジー。博識の読書家にして希代のブックハンターである荒俣宏ならではの異形 ----いや失礼、偉業だ。(中略)怪奇小説の大部なアンソロジーはすでに前例がいくつもあるが、 この3冊は屋上屋を架すような後追いではなく、拾遺的な試みでもない。怪奇小説の代表作や 名作を網羅するバランスよりも、むしろ偏ることを恐れぬ作品選択により、怪奇小説史に 新しい展望を開いてくれる。 》 牧眞司
 http://www.webdoku.jp/newshz/maki/2015/01/20/105047.html

 美術史にもこのような新しい展望を開いてくれる本が出ないものか。
 東京都現代美術館で四月から催される「山口小夜子 未来を着る人(仮称)」、国立新美術館で 六月から催される「ニッポンのマンガ*アニメ*ゲーム(仮称)」など、美術史の別の読みの試みが あるのは、やはり時代の趨勢、要請か。
 http://www.fashionsnap.com/news/2015-01-06/sayokoyamaguchi-mot/
 http://www.nact.jp/exhibition_special/index.html

 山口小夜子『小夜子の魅力学』文化出版局1983年3刷を再読。多くの写真が配されていて、 写真集としても愉しめる。魅力的な人だった。生身を見たことはなかったが。クール・ビューティ。 そんな言葉が似合う女性は今、ちょっと見当たらない。小夜子というと、おかっぱ頭のキクチサヨコ。 そして沢井桃子。つげ義春『紅い花』のキクチサヨコをNHKTVドラマで沢井桃子が演じた。

《 イスラエル訪問には26社の日本企業の幹部が同行し、トップセールスが展開されました。 》
 http://www.tv-tokyo.co.jp/mv/wbs/newsl/post_82655/

《 大日本帝国兵站無視の伝統というのは「わかりやすい成果に直接役立ちそうなところには 集中的にお金と人手をかける。またそれを喧伝する」けど「わかりにくく間接的だが必要な人員や制度を 軽視し『削減』に励む」ことにより結果的に「想定外の惨敗」を喫する伝統のことです。 今でも脈々と続いています 》 増田聡