「 新スロヴェニア芸術と動物園(ズー)TV 」

 夜更け、地震で目が覚めた。震度2。震源は隣町の函南町の丹那断層あたり。 地震の予感がして、本棚の最上部にある本は外してある。

 殆ど毎晩夢を見る。見るというより体験する。大方は覚めると忘れてしまうが、今朝の夢は K美術館を期間限定で再開したもの。やり残したことはあるけれども、いい時に閉館した、と 今は思う。予感に従って動いて正解。悪い予感、直感はないがしろにしない。何も起きなければ それでよし。

 今の日本政府はおかしいと感じる。海外の報道をネットで見ると、日本の報道とは何と違う見方なのか、 と驚く。
《 ZDF ”原子力エネルギーのカムバック” エコノミーマガジン「マクロ」 》
 https://www.youtube.com/watch?v=9V6uToB8OWI&feature=youtu.be

 コーヒーは一杯分を淹れるドリップタイプのものを使っている。思い立って二杯分を コーヒーフィルターに入れてドリップしてみた。こ、これはいい。二杯分以上の贅沢気分。 そんなことを試したのは、その昔買った佐藤哲也『コーヒー入門』保育社カラーブックス1971年 初版を再読して。

《 それに、粉を惜しんで使ってはいないか。一人前八グラムないし一○グラムと書いてあっても、 一五グラムぐらいは使ってほしい。場合によっては二○グラムまでいってもいい。 》 103頁

 これからは八×二=一六グラムの豆で一杯のコーヒーを淹れる。

 椹木野衣『後美術論』美術出版社、「第2章 新スロヴェニア芸術と動物園(ズー)TV」を読んだ。 数日前に読んだ「第1章 音楽と美術の結婚」から。

《 本書を通じて私は、美術と音楽が結ばれて授かるもうひとつ別の地平──それを新たなる「アート」 の可能性として呈示してみたいのだ。ARTでも美術でも現代美術でもなく。 》 26頁

《 「音楽と美術の結婚」から生まれた新しい幼子としての後美術は、こうして同時代の誰も、 それが生まれ落ちたばかりのアートとは知らぬまま、現代美術の歴史にも刻まれず、しかし同時に 世界でもっとも影響力のある「反(コン)アート」になった。 》 40頁

 「第2章 新スロヴェニア芸術と動物園(ズー)TV」から。

《 誤解を恐れず書きつけておけば、U2によるこの「Z0O TV」こそ、冷戦体制の解体以後に 世界が迎えた新しい秩序と未知なる混沌の同居に対し、従来の「美術(とりわけ現代美術)」に代わって、 最初に対応した大規模なアートの試みであった、ということになるだろう。 》 59頁

《 冷戦が終わって東西の壁が消え、世界が一枚岩になったことで、ロック・ミュージックが持つ 本質的な抵抗性も意味を失ったのだ。 》 61頁

《 イデオロギーによる抗争に代わって世界を支配するのはなんだろうか。それは、情報と通信による メディアの統制にほかならない。そこにはもう善も悪もないし、保守も革新もありえない。 》 65頁

《 が、このような危機の時代にあって、制度によって守られた「美術」だけが今日のアートを つくっているわけではありえない。アートは、そうした「美術」に特化された制度を脱したところで、 もっと無際限に適用されるべきだ。 》 80頁

 ネットの見聞。

《 最後のげんこは「21世紀美術館の2000年から2015年を回顧する展覧会」の総論。正直言って、 この15年間に何が変わったのかというと、「日本社会が全体として老化した」という以外に言うことないんです。 若々しさ、快活さ、冒険心、楽天性、正義感、そういうものがなくなった。 》 内田樹

《 金沢の21世紀美術館の展覧会パンフレットのげんこ8000字(なが〜)えくり。2000〜2015年の 日本文化を「老人性社会に固有のもの」としてとらえるといいのではないかというご提案です。アートってかつては 「青年」が担ったんですけど、もう「青年」というのがいなくなちゃったんです。 》 内田樹
 https://twitter.com/levinassien

《 「10秒で調べられるこの時代、知識は必要なくなった」と言う言葉を「教養は必要なくなった」 と自分の都合の良い形に変換して理解している人が多い。必要なくなったのはあくまで10秒で理解できる 「情報」であり、数時間に及ぶ読解や経験を通して吸収する「教養」の重要性はむしろ増してるので。 》  Haru Haru
 https://twitter.com/Hamusbter/status/575675243106205696

《 黒田総裁ついに白旗…国債「リスク資産化」で高まる暴落危機  》 日刊ゲンダイ
 http://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/158014/1