「 スローターハウスの聖母たち(前編) 」

 昨日は一日雨で家こもり。きょうは春爛漫の陽気。窓をせいせいと開放。お掃除お掃除。そして コーヒー。昨日同様二杯で一杯。濃くていいわあ。飲みごたえ十分。さてお墓参りへ。

 ブックオフ長泉店で間宮緑『塔の中の女』講談社2011年初版帯付、108円。地元三島の人。 最近買った本は、3,000円を軽く超えている。椹木野衣『後美術論』美術出版社は本体4,800円、 『教皇ヒュアキントス ヴァーノン・リー幻想小説集』国書刊行会は本体4,600円、坂東壮一『 SOICHI BANDO EX LIBRIS 』レイミアプレスは6,000円近く。三十年振りか、高価な本を立て続けに買うのは。 とはいっても、一冊一万円もしないのだから、美術品に較べれば一桁二桁三桁も違う。しかし、 値段で満足の値は測れない。100円で満足も、100万円で満足も、満足の値は変わらない。
 本は、見てたのしい、触って楽しい、読んで愉しい、と三段階の楽しみ方がある。茶碗などの 美術工芸品は、見てたのしい、触って楽しい、使って愉しい、のやはり三段階の楽しみ。 絵画は見てたのしい、考えて愉しい、の二段階の楽しみ。考えて楽しくならないのが、現代アートか。

 椹木野衣『後美術論』美術出版社、「第3章  スローターハウスの聖母たち(前編)」を読んだ。 じつにスリリングな展開だ。「後編」まで読もうと考えていたけれど、止めた。じっくり考えたい。 じつは、歳のせいかオツムのせいか、理解するのに時間がえらくかかるというのがホント。

《 キリスト教についての信仰があるわけではなく、ましてや学問的にはまったくの門外漢であるにも かかわらず、ここであえて初期キリスト教について論じるのは、本書で採るアートという概念の刷新にとって、 そこに決して無視できない巨大な精神のうねりが見て取れるからにほかならない。 》 103頁

 キリスト教グノーシス主義といった初期キリスト教にまつわる誠に興味深い知見が披露されるが、 初めて知ることばかりで、へえ〜、というほかはない。

《 1950年に起きたこの大きな変化が、ユングの言うような「宗教改革以来のもっとも重要な 宗教的事件」なのだとしたら、文化の領域においても、それと同様か、それに準ずるくらいの 大きな変容が起きていはしないか。 》 126頁

《 彼の言う「事件」とは、具体的には当時のローマ教皇によって、これまで正式な教義とは みなされてこなかった民間信仰のひとつが、ついに正統な教義として採用されたことを指している。 「聖母被昇天」をめぐる奇跡の承認がそれである。 》 90頁

《 ブラック・サバスの音楽とコンセプトには、聖母被昇天信仰の公式教義化という、 ユングの言う「宗教改革以来のもっとも重要な宗教的事件」と間を置かず始められたヘルマン・ ニッチュの「OMシアター」を、ポピュラー・カルチャーもアートもまったく同次元で吸収する 資本主義の滝壺のような流れに乗って一気に拡大した、典型的な後美術性があった。(中略) のちにそれは、「ヘヴィ・メタル」と呼ばれることになる。 》 130頁

 怒涛の展開に、滝壺に落ちて翻弄されているよう。岸に上がってゆっくり反芻したい。 この章ではC・G・ユング『ヨブへの答え』みすず書房1988年初刊が大いに引用されている。 本棚にはこの本の1997年10刷。ブックオフで買っておいて役に立つわ。

 ブラック・サバスオジー・オズボーン("Ozzy" Osbourne)は、
《 「オジー(乱交=ORZY)」と呼ばれるようになったのが、 》128頁
 とあるが、オジーからコージー(COZY=居心地のよい、気持ちの良い)を連想。真逆だ。 本の(乱交=ORZY)は、ORGY の誤植だろう。

 ネットの見聞。

《 日本は、本来、世界的に比較しても「人材の宝庫」だと思うのですが、現実社会は、 「人材の倉庫」になってしまっています。 》 渡辺豊博「NPOとの協働によるまちづくり」
 http://www.gwmishima.jp/modules/tubuyaki/index.php?lid=32&cid=1

《 AERA最新号連載「小島慶子の幸複論」
  平和ってなんですか?
  今週は、保阪正康さんとの対談・後編。戦争を美談にし、恨みを封印して繁栄を手にした日本が、 なぜ今、平和を語るのに仮想敵を必要とするようになったのか。今年は戦後70年。あと30年、 戦争をしない日本でいるには? 》 小島慶子
 https://twitter.com/account_kkojima