「 スローターハウスの聖母たち(後編) 」

 椹木野衣『後美術論』美術出版社、「第4章  スローターハウスの聖母たち(後編)」を読んだ。 前編に増して興奮する展開だ。なにせ、エルヴィス・プレスリーからマドンナまで論及されるのだから。 視界が強引に拡張される快感……というか。気付かなかった風景がわあっと開かれてくるワクワク感。 短い引用では、そのワクワク感は伝わらないが。

《 ジャンルがシェイクされて越境的に「横断」するのではない。ジャンルが産み落とされるより はるか手前にある起源の「知恵」から生まれるのが、かれらの「後芸術」なのだ。 》 162頁

 こういう指摘に納得する。「横断」ではないのだ。以下の写真の地位の指摘にへえ〜。

《 意外な発言に聞こえるかもしれないが、マッケンドリーがメイプルソープに写真についての体験を 与えた70年代初頭、写真はまだ美術としては認められていなかった。 》 164頁

《 マドンナが体現する、肉体を極限まで駆使したグノーシス的な知恵(ソフィア)の後美術(アート)は、 のちにビョークレディー・ガガらによって再度、引用的に踏襲(シミュレート)され、 さらに異形のシミュラークルへと鏡像変換され続けている。 》 187-188頁

 こんな引用を私は誰に伝えようとしているのか。おそらく誰でもない、未来の私への伝言だ。 椹木野衣は、「後美術」という新造語で今までのアート観の変換を試みている。それが功を奏すかは、 全文を読んでみないことには予想できない。でも、この揺さぶりには、なんともワクワクする。 北一明『ある伝統美への反逆』を連想させる。どちらも視点の転換、視界の拡大をもたらす。 そういえば毎日新聞夕刊、佐々木泰造「歴史の鍵穴 ナスカ地上絵」もそうか。

《 全長が50〜300メートルもある。ただし、巨大な地上絵もすべて、周囲を歩き回れば、 どんな形をしているかはわかるという。「上空から見ないとわからない絵をどうして描けたのか」 というのは、誤解に基づく謎だ。 》

 朝、源兵衛川中流部、桜がきれいな場所の岸に繁茂しているヒメツルソバを駆除。 一時間あまりで土のう袋四袋に詰め込んで、きょうは終了。ここは今まで手付かず。 自宅から遠いので自転車で往復。ふう。

 ネットの見聞。

《 下級マニアの陥りがちな罠が「自分だけが知っている」「俺だけが持っている」という優越感。 そんなことないから! 上には上がいるから! それに気付けば謙虚になるよ。解脱への第一歩だ。 》 日下三蔵
 https://twitter.com/sanzokusaka

 昨日近所の店の知人に『教皇ヒュアキントス ヴァーノン・リー幻想小説集』を見せ、森山大道遠野物語光文社文庫を贈呈し、初めて訪れた喫茶店でマスターによるジャズの勉強会の案内があったと話したところ、 彼と私と二人の知人の三人でご高説を拝聴しましょう、とそそのかされる。相手をへこまかすのは 愉快かもしれんが、後を考えるとやだなあ、で話は流れた。我らはジャズの中級マニア。

《 打ち合わせで国書刊行会さんへ。局長さんに『教皇ヒュアキントス』が好調なのだけど、 どうしてかしら。と聞かれたので「翻訳の中野善夫さんの御人徳によるところが大きいと思います!」と、 元気に答えておきました。 》 Fragment兎影館│柳川貴代
 https://twitter.com/Fantas_magorie

《 中野善夫訳『教皇ヒュアキントス ヴァーノン・リー幻想小説集』、みんなの写真アーカイヴ  》
 http://togetter.com/li/796037

《 コーヒーはインスタント。昼飯は茶漬け。煙草はエコー。酒は量り売り焼酎。夕飯のおかずは もやしと鶏ムネ(100g39円)。服は古着。下着はしまむら。化粧品は月200円のヒルドイドのみ。 美容院いく金ないから伸ばしてる(伸びてる)。これでヒュアキントス買うんだから誰かほめろ。 》