『 ピモダン館 』つづき

 齋藤磯雄『ピモダン館』小澤書店1984年初版、後半はフランス近代音楽論、回顧談、詩論など。

《 ジョンソン博士といふイギリス十八世紀の学者の作った辞書には、次のやうな「釣竿」の 定義が書いてあるといふ。──「長さ数フィートの竿。一方の端に糸と鈎がついてゐる。 他方の端には馬鹿がついてゐる。」 》 「セーヌの釣」

《 私が先生の教を受けたのは昭和四年頃から九年頃までであり、(中略)左翼小児病と 浮薄なモダニズムの最盛期に、思へば先生はよい本を読んで下さつたものである。 》  「豊島先生の思ひ出」

 去年、戦前アヴァンギャルド美術の研究書を読んだが、資料としては興味深いが、何か 違和感を拭えず。上記のような批評的(批判的)視点が乏しかった気がする。

《 私の相棒は安藤鶴夫であった。 》 「学園むかしがたり」

 角川とちくま文庫で三冊持っている。いつか読もうと思っている。

《 パリの長谷川潔画伯からも最近長いお便りがありました。昨年十一月から首都第一流の 画廊にて久々に銅版画の個展を催され、非常な好評で各方面に多大の反響があり、三回も 会期が日延べになり、新年一月十五日まで続いたとのお知らせでした。その後幾ばくもなく、 このたび仏国翰林院(アンスティチュ)の会員に推挙されました由、このやうな栄誉は 恐らく日本人で最初ではないでせうか。(中略)それにしても、パリと云えば目の色を 変へるわが国の新聞雑誌が、このことには殆ど無関心のやうに見えるのはどうしたことで せう。 》 「近況」

 1969年4月の発表。メディアは当時も今も全く変わっていない。2001年、小原古邨展が アムステルダム国立美術館で催された時も、日本のメディアは無視黙殺。メディアに慧眼、 具眼の士が払底しているからだろう。

《 言ひ換へれば詩の本質、詩の妙味、詩の絶対的な価値は、散文に分解し、翻訳し、 還元することの不可能なところにこそ存する。 》 「果実と詩と」

《 従つて一般に軽々しく意味とか内容とかよばれてゐるものによつて詩を理解したと 信じている人々は、詩を散文として(つまり誤解して)理解してゐるにすぐない。 》  「果実と詩と」

《 論理の秩序とは異る、更に高度の秩序をもつ詩的世界の喚起が問題となる。 》  「フランスの象徴主義について」

《 しかしながら眞の諧調は語の物質的な音響のハーモニーではない。語の心理的な 暗示力こそ内面的音楽を形づくる最も貴重な要素であり、韻律はこれと緊密に提携し 協力すべきであらう。第一流の詩人は決してこのことを忘れなかつた。 》  「フランスの象徴主義について」

 ちょっと言葉を入れ替えて「眞の諧調は色調の物質的な音響のハーモニーではない。 色調の心理的な暗示力こそ内面的音楽を形づくる最も貴重な要素であり、筆触はこれと 緊密に提携し協力すべきであらう。」とすると、絵画にも通用する。では、日本の象徴詩は。

 『日本の詩歌』第2巻中央公論社1969年の附録、三好行雄象徴詩の移入」から。

《 他方、実作の上では、近代詩精神の未熟が、たとえば詩の音楽性についての理解を 不徹底なものにした。有明や泣菫の実作に見られるように、その音楽は音数律にとどまった。 文語詩定型の枠を完全に揚棄できなかった彼らの詩作がついに「知性の抒情詩」ではなく、 「知的な抒情詩」にとどまったゆえんでもある。だからこそ、ヴェルレーヌランボオらが もういちど、わが国の詩的風土を衝撃する再評価が必要だったのである。 》

 『日本の詩歌』第12巻中央公論社1969年、篠田一士の解説から。

《 ボードレールの『悪の華』を原文で少しでも読んだことがあるひとなら御承知だろうが、 そこに用いられた言葉は、たとえばユーゴーなどにくらべて、はるかに平易平明で、 ずっと日常的なのだ。従って、上田敏以後の日本象徴派の詩業は、こうしたサンボリスム 本来のあり方からいえば、それはもはや、ほとんどサンボリスムの名に値しないもの なのである。つまり、日本象徴派は知的構築性が薄弱で、しかも情緒過多におちいり、 たとえ、サンボリスムとよぶにせよ、それはロマン派に癒着した形でしか存在しない 畸形児でしかない。それに詩的言語の点も、死語、廃語を乱用し、いたずらに修辞に 熱中するのは、これまたロマン派の退廃形態にほかならぬパルナシアンの遊戯にすぎない。
  言葉の正統の意味において、日本におけるサンボリズムを認めることができるのは、 萩原朔太郎の出現以後で、朔太郎、そして吉田一穂、富永太郎などの詩集にその性急な 達成をもとめるしかない。 》

 キビシイ見方だ。

 ネット注文した古本、星新一『冬きたりなば』ハヤカワJA文庫1973年初版が届く。 350円。表紙の深澤幸雄の銅版画目的。

 スーパーでカボチャが安売り。今までメキシコ産だったが、これはニュージーランド産。 すごいね。

 ネットの見聞。

《 高浜原発再稼働禁止の仮処分決定、樋口英明裁判長は大飯原発差し止め判決と同じ人物。 そのときの判決文「豊かな国土と、そこに国民が根をおろして生活していることが国富であり、 これを取り戻すことができなくなることが、国富の喪失である」が忘れられない。 尊厳ある日本の司法の言葉にふさわしい。国家の長であるはずの安倍首相や菅官房長官による 「粛々と」「承知している」などの空疎な言い逃れと比べて、本当に尊敬できる大人の言葉だ。 ところが、そんな樋口裁判長が4月から名古屋家裁(!)へ異動。それを知る関電は「忌避申立て」 という禁じ手で決定を4月まで引き延ばすのに成功した。これに対して裁判所は,すでに異動済みの 樋口裁判官に福井地裁の「職務代行」を付けるかたちで関電の「忌避措置」に対抗。 これもまた自立する司法の意地。法律家を目指した者なら、その思いの原点に「三権分立」 があったはず。が、様々な圧力や処世から歳を重ねるに従いそれらは忘れられて行く。 「仕方ないのだ」「理想より現実」と。しかし樋口英明裁判長とそれを支えた裁判所は日本の司法の 尊厳を守った。原発再稼働禁止が示されたのはむろんだが、今回の判決には近代日本の司法をめぐる 歴史的意義がある。彼の名を忘れないようにしよう。川内原発の差し止め仮処分はどうか。判決は4/22。  》 椹木野衣
 https://twitter.com/noieu

《 安倍政権が終わる条件は(1)アメリカが見限る(2)株価が暴落するの2つだけ。安倍政権が 長期化するには(1)改憲が成立する(2)戦争が始まる(3)テロが起きる(4)メディアと知識人が 尻尾を巻く等々。われわれにできるのはアメリカの意向に働きかけることだけという属国の悲劇。 》  内田樹
 https://twitter.com/levinassien