『 日本人の心の歴史 上 』つづき

 唐木順三『日本人の心の歴史 上』筑摩書房1970年初版、後半。

《 長明はさらにまた次のやうな例を示してゐる。「(中略)一詞(ひとことば)に多くの 理(ことわり)を籠め、現さずして深き心ざしを盡くす、見ぬ世の事を面影に浮べ、いやしきを 借りて優(いう)を現し、おろかなるやうにて妙(たへ)なる理を極むればこそ、心も及ばず 詞も足らぬ時、是にて思ひを述べ、僅三十一字が中に天地を動かす徳を具し、鬼神を和(なご) むる術にては侍れ。」 》 「冬の美の発見」187頁

 近代象徴派の詩論のようだ。ボードレールの詩を思う。齋藤磯雄・譯『惡の華』創元選書1984年 初版、「夕(ゆうべ)の調(しらべ)」四連の第一連。

《  時は來りぬ見よ今し瑞枝(みづえ)の先にふるへつつ
   花ことごとく薫(くゆ)りたち搖(ゆら)ぐ香爐にさも似たり。
   音も馨もたそがれの大氣のなかに渦卷きて、
   愁(うれひ)を含む圓舞曲、戀に物憂き眩暈(めくるめき)。  》

 阿部良雄・訳『ボードレール全詩集 I』ちくま文庫1998年初版、「夕べの諧調(ハーモニー)」 四連の第一連。

《  今や時はおとずれて、おのおの茎の上に震えつつ、
   どの花も、香炉さながら、薫じ立ちのぼる。
   もろもろの音も香りも、夕べの空中を廻(めぐ)る。
   憂愁(メランコリア)の円舞曲(ワルツ)よ、けだるい眩暈(めまい)よ!  》

《 存在は連鎖の相においてある。山も海も、松も竹も、各々、山また松として山は山に相嗣し、 松は松に相嗣して連続してゐるが、然し、その各々が、山また松として一時に現成し、自己同一性に 住じてゐるといふ。 》 「新なる季節」247頁

 上記は道元の『正法眼蔵』第二十、「有時(うじ)」に関わる説明。相嗣=過去から未来に渡って、 嗣いでいくこと。手元の辞書には見当たらず、ネット検索で一発。

 『正法眼蔵』第二十九、「山水經」冒頭。

《 而今(にこん)の山水は、古佛の道現成(だうげんじゃう)なり。ともに法位に住して、 究盡(ぐうじん)の功徳を成ぜり。 》 「新なる季節」240頁

《 現在眼前の山水は、古佛の道が現成したものである。山は山、水は水の、それぞれのあるべき 位に住して、しかもそれよりほかにありやうのない働きを成じてゐる。 》 「新なる季節」240頁

  唐木順三はかように譯し、「多少の註釈を加へよう。」と一頁余にわたって綴る。その結び。

《 いづれにしても、存在と生成が一体になつてゐることを、「ともに法位に住して」云々と 言つてゐる。 》 「新なる季節」242頁

 玉城康四郎の訳ではどうか。

《 いま目のあたりに見る山水には、古仏の道が実現している。その山水はともに本来の 在り方において、山は山、水は水として表わすべきものを表わしつくしている。 》 『現代語訳  正法眼蔵1』大蔵出版1995年2刷、406頁

  『現代語訳 正法眼蔵』全六冊では、第一冊に「一四 山水経」「一一 有時」。この六冊、 ブックオフで一冊105円で購入。ブックオフ通いは止められぬ。きょうは雨。降る音やひねもす のたりのたりかな。家でごろごろ。こんな一日もいい。

《 漢詩、和歌、蓮歌、俳諧の四つは、いづれも風雅だが、そのうち上の三つ(詩、歌、連)が 取扱はないもの、もてあましたものも、俳諧はかまわず入れる。 》 「芭蕉の發明」266頁

《 蕉風の俳諧、俳文には、糞も出てくる、蚤、虱も一緒になって出てくる(「蚤虱馬の尿する 枕もと」)。 》 「芭蕉の發明」267頁

《 私は若し芭蕉が出なかつたならば、俳諧は高度なポエジイとはなりえず、利口、秀句、地口の 洒落、戯言(けげん)に終わつたらうと思つてゐる。 》 「芭蕉の發明」271頁

 毎日新聞夕刊、桃井治郎「テロリズムに抗する思想  アルベール・カミュに学ぶ」から。

《 ただし、カミュは「反抗」と「革命」とを区別する。「反抗」が、容認できない現実から出発して 斬新的な改善をはかるのに対して、「革命」は、絶対的な正義から出発してその正義をむりやり 現実化しようとする。その結果、上からの正義の実現を目指す「革命」には必ず暴力が付随し、 正義と正義のぶつかり合いによる絶滅戦に至ってしまう。カミュの「反抗」論は、こうした暴力の 連鎖に陥ることなく、社会の改善をはかろうとする態度である。それは「際限なく続く敗北」で あるかもしれないが、それのみが暴力やテロリズムを排して社会を改善する唯一の方法であると カミュは説く。 》

 深く同感。源兵衛川に四半世紀関わってきて実感。風景を自分の手で少しづつ変えることで、 世の中が変わっていくと考えている。それは「際限なく続く敗北」であるかもしれないが。

 ネットの見聞

《 山口小夜子展、すごくいい。ゆうに3時間掛かった。最後のアトリウムはそれぞれの作品が 一体となり、いくらでも長居し、想像力を飛翔させられる。そして日曜ということもあるけど 混んでる。こんな人のいる都現美の会場見たの久しぶり。この展覧会、早めに見たほうがいいと 思う。どんどん混んできそう。 》 椹木野衣
 https://twitter.com/noieu

 棺(かん)を蓋(おお)いて事定まる……北一明の茶碗を手にして思う。先例のない未見の景色を 創る人たちの一断ち。あるいは人断ち。

 ネットの拾いもの。

《 怒濤のように連絡が来て、ばたばたと予定が入り、ゴールデンウイークがブラックウイークに なってしまいました。 》