『 現代評論集 』

 『現代日本文学大系 97 現代評論集』筑摩書房1973年初版には、柳宗悦から 色川大吉まで、戦後発表された34人の34の評論を収録。一人一篇だ。三木清親鸞」は戦後公表されたもの。未知の人がいる。池田潔、田中耕太郎、深瀬基寛、 小倉金之助。月報で野島秀勝は書いている。

《 行間のつまった八ポ二段組、四百ページになんなんとするこの「現代評論集」を 通読して、 》

 お、全部読んだ人がいる。続く松原新一。

《 さまざまな思考を刺激されながら、本書に収録されている三十四篇の評論を 通読してみて、 》

 うへえ、恐れいりました。松原の結び。

《 二十一世紀まで、あと三十年足らずである。橋川(文三)氏のいう「ある一つの 時期がその行きづまりに到達し、新しい視野が未だ開けない時代」に私たちは生きて いるのかもしれぬが、私自身は、全地球的な規模で進行するであろう「終末」の状況を 日程にのぼせることを除いて、知識人のいかなる思考も既に現実性をもたなくなると 思う。悠長な未来論なぞに耽っているヒマはないのである。 》

 それから四十年余。未来論は死語になった。原発災害による「終末」はすぐそこにあり、 きょうは週末〜大型連休の始まり。週末があれば週始めがある。終末があれば新生も あるだろう。おそらく新生は、今日本で最も熱い沖縄県那覇市辺野古だろう。新宿、 三里塚で実現しなかった、住民と行政が連帯して日本政府に対抗する歴史的な構図。 その現場を訪れたいが今は無理。ネットで声援だ。では、本を少し読んでみよう。

《 最近十年の日本を、よいとも懐かしいとも考えるものはあるまい。だが、現在は そうとして果して将来は如何。トンネルから出たら線路が外されていて汽車は谷底に 堕ちていた、考えて見るとトンネルを走っている中(うち)は、まだましだったと いうことにならねば幸である。 》 池田潔「よき時代のよき大学(抄)」昭和21年

《 明治以来我が国は西洋の文化を輸入して、文明国としての体裁を整えた。しかし 少くとも精神文化の分野においてはその輸入の仕方は極めて浅薄であった。哲学、倫理、 宗教、文化等の諸領域において、それ等は基礎をなしている精神生活自体から切り離して 移植せられた。このことは芸術に関してもいわれ得る。 》 田中耕太郎「ベートーヴェン的 人間像」昭和22年

《 戦国時代から今度の戦争までの日本を顧れば、日本は自らの生れ落ちた自然的所与に 対して身を堅めないで、しかも、それを驚くべきものとして見出すよりも、快適なものとして 見出したということに尽きるのではないでしょうか。 》 深瀬基寛「異教徒としての日本人」 昭和24年

《 かように強大な先進資本主義国に対して卑屈である反面、アジアの後進国に対しては、 侵略をはじめようとする政府。そういう政府や権威にたいして屈服する半面、官等地位の低い ものや民間学者に対しては尊大をきわめる官僚科学者。──絶対主義的官僚の国日本の科学は、 こういったものの支配の下に育てられてゆく。 》 小倉金之助「われ科学者たるを恥ず」 昭和28年

 四篇とも密度はじつに濃い。そして21世紀のことかと思ってしまう。

《 こうして私たちは、ただ形骸的な市民社会の建設へは参加しても、自由独立という 近代市民の精神からは背進したのであり、国民大衆の幸福のために、科学の革命性を 守りぬこうという科学的精神をも裏切ったのであった。 》 小倉金之助

 強い日差しの道を少し歩いて写真屋フォトライフシェルパへ久原大河君の今世紀 初頭のA3版ポスターを持っていく。店番の知人に某店での展示の相談をする。止めた ほうがいいと即答。無断で写真に撮ってネットで流用する輩が出てくる、と。たしかに。 相談はそこで終わり、彼からフジフィルム主催の「30,000人の写真展」を勧められる。 渋っていると、10周年特別企画部門、「みんなに見せたいあの頃の写真」はどう?と。 古い写真なら、と自宅からご先祖さんの大正時代の歯医者(歯科治療所)の家の写真を 持ってゆく。これはいい写真!と感心される。で、応募。ついでに明治18年の 「抜歯口中療治師御免許願」「入歯営業御免許願」それから免許証を見せる。 ビックリされる。当時の我が家の住所は伊豆国君沢郡三島宿六反田町。すごいね。
 フォトライフシェルパ http://www.photo-sherpa.com/
 久原大河 https://twitter.com/taigakuhara

 ネットの見聞。

《 『誰かやってくれる、 どうにかしてくれる、 どうにかなる。』

  だれも何もしません。どうにもしてくれない、自分で動くしかありませんでした。 》  黒木睦子
   https://twitter.com/mutsukuroki

 ネットの拾いもの。

《 朝の電車が全然空いていないじゃないかと思ったら、ほとんど休暇で遊びに出かける人たちだった。 》