丸谷才一『日本文学史早わかり』講談社1978年初版1996年3刷、表題作を再読。 一昨日話題の小西甚一『日本文学史』同様、簡潔で明解。
『日本文学史』は古代〜中世第一期(古今和歌集〜)〜中世第二期(新古今和歌集〜) 〜中世第三期(俳諧、芭蕉〜)〜近代(明治以降)という区分だった。
『日本文学史』は和歌以外に歌謡、能楽、浮世草子、浄瑠璃など文藝全般を見渡して 論じているのに対し、『日本文学史早わかり』は勅撰集を中軸に据えて論じている。
『日本文学史早わかり』は、第一期(八代集時代以前 九世紀半ばまで)〜第二期 (八代集時代 九世紀半ば〜十三世紀初め)〜第三期(十三代集時代 十三世紀初め〜 十五世紀末)〜第四期(七部集時代 十五世紀末〜二十世紀初め)、第五期(七部集時代 以後 二十世紀初め〜)という区分。
《 国王の命によつてこんなに多くの詞華集が編まれた国がほかにない(すくなくとも、 珍しい)とすれば、この時代区分は日本文学史上の特性によくかなふのだから。 》 27頁
《 勅撰集は宮廷の文化的な力を誇示するために編まれた。一応はさう言つて差し支へない。 しかし大事なのは、その文化的な力がただちに政治的な力として働くといふ事情である。 》 36頁
《 そして日本人はどの階層も、人間との関係、自然との関係、さらには宗教との関係、 総じて言へば世界との関係において、エロティックなものと溶け合つた情調を受入れ、 それのよつて相互の仲を円滑にし、人生を平穏にしてきたのである。これは宮廷の教育政策の 成就であり、と言ふよりもむしろ教育者としての天皇の成功であつた。 》 51頁
《 さう、天皇の性格はまさしく改まつた。どう変わつたのかと言へば、エロティックな性格を 失つたのである。あるいは、エロティックな性格によつて一国の調和と安穏を祈ることを やめたのである。このとき天皇の和歌には色気がなくなり、なにか道歌のやうなものに変質した (昔、天皇の詠んだ雑(ぞう)の歌は、政治や倫理をあつかつても妙に色つぽかつたのに。) さうなつた以上、天皇がかつては勅撰集の主として四季歌と恋歌により極めて間接的にそして ほのかに人々に教へたのに反し、今は教育勅語によつて直接そして露骨に訓戒を垂れるやうに 変つたのも、当然のことと言はなければならない。/ すなわち天皇自身が勅撰集の伝統を 否定し、宮廷が宮廷文化を拒絶したのである。 》 76-77頁
慧眼、卓説だ。
ネットの見聞。
《 この絵とともに、馬に寄り添う淋しそうな少年の挿絵があった物語の本を、 昔持っていた記憶がある。今江祥智著の『あのこ』以外の物語で、 この挿絵を見た記憶があるのだがどこでだったか思い出せない。 》 福山知佐子
http://chitaneko.cocolog-nifty.com/blog/2015/05/index.html#entry-99538061
今江祥智『海の日曜日』実業之日本社1966年、同『海いろの部屋』理論社1971年 あたりじゃないかな。『海いろの部屋』の「あとがき」結び。
《 絵は宇野さんにお願いしました。絵本『あのこ』や長編『海の日曜日』同様に 美しい世界でわたしの作品世界をひろげてくださったことを深謝しています。 》