昨日につづき『吟遊星』主宰者・編集者の御沓幸正氏の作品を。『吟遊星』12号、 1981年掲載、猿真似太夫「狂歌書」より。
《 見渡せば飯もうどんもなかりけり裏の蕎麦屋の秋の夕暮
夜もすがら契りつゞけて明けぬればほとほと萎えていたく眠たき
京たちて明日のあふみは片はらよ新幹線で日帰りこそ
無邪気さのかくれんぼこそ上手なれ末は苦しく横恋慕する
年寄のたゞ楽しみの朝寝をば孫子のおきなおきなとぞ呼ぶ
乙女ごは魚のやからか糸をたれ釣らんとすれば餌を取って逃ぐる
夕焼けに君をまつかなうそ寒くまつ正直に秋は来にけり
牛飼が牛飼ふ時に世の中の牛肉の値が大いに上る
北にゐて南をみれば左より右へ行く人みな西を向く 》
『吟遊星』13号、1981年より御沓幸正「事件」。
《 1
町長がひとり
韃靼海峡で行方不明になった
奥さんは台所で
皿割れた
2
春日神社の鹿の群れを
馬がゆっくり横切っていく 》
ネット注文した古本、御沓幸正『ヒッチ俳句』名古屋豆本1988年(21/200)が届く。 きょう届くとは。ネット検索していて見つけた。1500円。
去年はギネスをよく飲んだ。今年は350ml缶のビール、アサヒ、キリン、サッポロ、 サントリーを一日一缶飲み較べてみた。私好みは高価ではなかった。ビールを味わうには これで充分。美術作品でもそうだが、高価なもの=一流品が私好みとは限らない。また、 一流品とされているものも、時代が変われば忘却されることはよくあること。一流品と 一級品とを私は区別している。一流品は、いわゆるブランド品に当たる。その時代の流行だ。 流行が去るか、ブランドが地に落ちれば誰も話題にしなくなる。一級品は、流行には無縁。 それはブランドのような大量生産ではない。ワカル人だけがひっそりと愛好する。美術全集で 一人で一巻をなす画家たちは、一流の芸術家だろう。私は一級の芸術品を求める。それは ひっそりと、割安な、格安な品物に紛れている。
数年前、東京のTV局の鑑定番組から出品依頼があった。小原古邨の木版画を提案した。 ほどなくして返事がきた。某鑑定家曰く、すごくいいが、今は安くてこれから騰がるので、 テレビでは今の値段を付けられないとの断りの電話。妙に納得。古邨の最初の展覧会は、 横浜そごうの中にあった平木浮世絵美術館で1998年10月3日から11月23日まで催された 「小原古邨の世界 ─西洋で愛された花鳥画─」だ。終了後に知り、あたふたと駆けつけ、 図録を購入しながら様子を訊くと、閑古鳥だった、と。そうだろうなあ。図録には下図、 画稿、試し摺り、版画が並んでじつに興味深い。版画では椋鳥の数が減っていたりする。 総じて画稿(原画)よりも木版画のほうが訴求力が強い。彫師摺師の技量が偲ばれる。
小原古邨の読み方もわからずに木版画を買っていた身には、夜の海で灯台に出合った ようだった。2001年、アムステルダム国立美術館で古邨展が催された時、マスメディアに 勇躍知らせたが、全く無視された。2000年にはグーグルの検索数は二十件もなかったが、 今では三万件を優に越える。で、私の持っている版画は、古邨時代のものばかり。
http://web.thn.jp/kbi/koson.htm
ついでに。そごうでの展覧会の後、小原古邨の作品を石川県立美術館へ業者が持ち込んだら、 知らないからいらないと断られたとか。ありそうな話だ。2007年、季刊『版画芸術』135号で 巻頭特集「知れれざる木版画絵師 小原古邨/小林かいち」が組まれた。 K美術館へ来館された編集長に木版画を提供。作家の寮美千子さんの寄稿「古邨・その静寂に 満ちる『動』」から。
《 K美術館にお伺いして見せていただいたとたん、心を鷲づかみにされた。写生に基づいた 限りなく博物画に近い筆法、でありながら、決して「図」ではなくて、それは紛れもなく 「絵」なのだ。日本画の独特な空間構成が、西洋的な博物画的手法とあいまって、清潔で 清澄な、不思議な色香を漂わせている。 》
《 水音や羽ばたきまで聞こえ、色鮮やかな花々は露を宿してやさしく香り立つ。 》
http://www.abepublishing.co.jp/products/detail264.html
ネットの見聞。
《 新国立競技場建設の責任者に能力、責任意識、危機感がないことは驚くべきことであり、 大日本帝国陸軍を彷彿とさせる。 》 舛添 要一
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20150519-00043364-gendaibiz-bus_all
『美術手帖』1959年9月号に「国立西洋美術館をめぐる論争」なる記事。
《 この発言の中には、〈建築家の理念と予算や現実〉〈最初の企画(設計條件)の出し方〉 という、現在の建築家の大きな問題が含まれている。紙面の都合でこの問題について詳しくは 書けないのが残念だが、ただ〈いいかげんな条件で建て、目先の満足だけをうる〉ことが、 決して施主にとっても、それを使用する人にとっても〈良い建築〉でないことだけは ことわっておこう。 》
《 安倍首相も宮家邦彦も集団的自衛権の行使で、自衛隊員が死傷するのは 彼らの職業がら仕方ないという考え方。しかし、もし自衛隊が相手を殺傷すれば、 その倍返しは自衛隊にだけではなく日本と日本人に向けられるという両面性を持つことを 考えるべきだ。 》 徳永みちお
https://twitter.com/tokunagamichio
ネットの拾いもの。
《 脱がすまではわからないシュレディンガーの乳。
その親戚筋には、脱がさなくてもわかる、というか、まさに究極の貧乳というべき 「乳という性質は存在するが、乳本体はない」というのもあるそうで、「量子チェシャー猫乳」 というのではなかろうか。 》