『 ベスト・ミステリ論18 』

 女の誘惑は振り切ることができるが、コアントローの誘惑には負けた。昨夕近所の酒屋で 中壜を購入。夜、さあ、これで後は寝るだけ、と準備をしてリキュールグラスに冷蔵庫で 冷やしたコアントローを注ぐ。トクトクトク。いい音だ。ぐいっといく。うーん、シビレル。 たまらん。アルコール度数40度。なのにストレートでいける。まさしく甘美なる毒。毒じゃあ。 陶酔境で本を読む。小森収・編『ベスト・ミステリ論18』宝島社新書2000年初版、北村薫 「解釈について」「解釈について(続き)」がめっぽう面白い。ここで沈没。

 この本、題に「ミステリよりおもしろい」という修飾語がある。きょう読了したが、 たしかにミステリより面白いわ。北村薫の文から。

《 そういうことは当然あるわけなので、様々な解釈をなし得る作品、批評の方法が時代と共に 変わっても常に受けてたち、その対象となり得る作品こそ懐が深いといえるわけだ。 》 17頁

《 しかし、読むという行為は受け身のものではなく、極めて能動的なものである。 》 18頁

《 また優れた新解釈を聞く時、私達は(特に作者自身も)その作品が、内に秘めていた 魅力を知る。 》 21頁

《 作品は楽譜に当たるもので、それを演奏するのが読者である。読書は決して受け身の 作業ではない。百人の読者がいれば、百の作品が生まれる。 》 26頁

《 残酷なことだが、時として作品は人を拒む。 》 28頁

《 何でも分かりやすくなったら、全ての暗示は消え、主張ばかりとなる。 》 29頁

《 解釈の冒険を許さない作品は、実につまらないものだろう。 》 29頁

《 評論家には、プロであるなら記憶に残るような面白い演出を見せてほしいと思ってしまう。 》  31頁

 美術作品にもそのまま当てはまる。自戒も含め、全面的に支持する。そして丸谷才一「冒険小説に ついて」。

《 もし三人称で書かれていたならば、読者はおそらく波瀾万丈の筋書を真に受けないはずだ。 語り手が眼の前にいて語りかけるから、ぼくたちはまず語り手の実在を信じ込み、そして彼の個性の 内容である冒険を信じるのである。 》 100頁

 絵画における三人称と一人称。大ざっぱに大別すると、三人称はイラスト、デザイン等。一人称は 洋画など。日本画はどちらだろう。歴史からすれば三人称だが。味戸ケイコさんの絵は、イラスト= 三人称でありながら一人称なのだ。また、二人称は?とツッコミがあるかもしれぬ。二人称は現代アート

 ネットの一部で青い本が祭りになっている。見渡せば本棚には青い本はずいぶんある。 ずらりと並ぶ青い背の本は東京創元社の「ミステリ・フロンティア」シリーズ。海外では 『ブラックウッド傑作集』創土社、『ユリシーズ1』集英社、『ジョイス2 オブライエン』 筑摩書房、『ゲド戦記1 影との戦い岩波書店、『町でいちばんの美女』新潮社、『小鳥の 園芸師』白水社、『ナペルス枢機卿国書刊行会、『モレルの発明』書肆風の薔薇…… 蔵書自慢になってしまうな。

 ネットの見聞。

《 この度、9年の時を経て、期間限定で〈ぽえむ・ぱろうる〉が復活いたします。 》
 http://www.libro.jp/s/blog/ikebukuro/event/post_68.php

 この店には行ったことはないが、池袋パルコにあった「パルコ・ぱろうる」には何度か行った。 その店で味戸ケイコ画集『かなしいひかり』講談社1975年を購入した記憶。あれから四十年か。

《 新渡戸記念館 収蔵資料8000点ピンチ 》 川北新報
 http://www.kahoku.co.jp/tohokunews/201506/20150603_25008.html

 東京中野区上高田のマンションを北一明がいつ引き払ったのかわからないが、部屋に山とあった 書類は殆ど廃棄処分されたようだ。
 http://www.minamishinshu.co.jp/center/series/023.PDF

 地方自治体の公共建築物が老朽化で解体の時を迎えている。屋内に展示されている美術品 (絵画、彫刻)はどのような運命を迎えるのだろう。建設当時に評判だった美術品は、 建物の耐用年数と同じく賞味期限の切れているものが多い。しかし、当時の名声だけが 人々の記憶にこびりついている。公立美術館の常設品には、過去の名声または虚名だけに すがっている賞味期限切れの遺物=産業廃棄物候補がよく陳列されている。
 知人女性からK美術館に展示した美術品のこれからを訊かれた。愛好家に譲る、売却そして 公立の美術館へ交渉と答えた。公立美術館を私はさほど信頼していない。民間の愛好者に 蔵されるのがいちばん望ましいと思っている。美術品はどこへ収蔵されても流転する宿命にある。 公立の組織は、日本年金機構を見るまでもなく、責任感と何より愛着が欠けている。
 美意識、価値観は時代の変遷とともに変わってゆく。美術雑誌などで「今注目の作家」 「世界で活躍する○○人」と喧伝されているその時がビジネスチャンス。非情なコレクターや 美術品をビジネス=錬金術とみなしている専門業者は、その時にさっと手放すだろう。
 なにはともあれ、その作品を好きな人から人へと渡ってゆくのがもっとも好ましい流通だ、と 私は考えている。その譲渡に金銭が介在することで、より一層大事にされると思う。損得を 言い募る輩は論外。

 ネットの拾いもの。

《 憲法学者の言うことは聞かない。地震学者の言うことも聞かない。 沖縄の民意にも耳を貸さない。聞くのはアメリカの要望だけ。 》