洲之内徹『さらば気まぐれ美術館』新潮社1988年4刷、二篇目「マドリードからの手紙」は、 イタリアの画家ジョルジョ・モランディへの論及。
《 そういうものを見ているうちに、われながら唐突だとは思うけれども、いつの間にか、 虚と実という概念が私に生まれてきたのだ。モランディは虚を描くことで実を存在させる。 虚で実を描く。こんどはモランディが魔術師のように見え出した。 》 32頁
《 明と暗といってもいいし、光と影といってもいいが、彼の絵では明よりも暗に、 光よりも陰に、だいじな役が振られているらしい。明の中にはモランディの物は存在しない。 素描ではしばしば、物は黒い影の中に切り抜かれた、その物の白い穴に過ぎない。 》 33頁
32頁には静物の油彩画と素描が白黒印刷されている。ネットの画像検索では適当な素描は 見当たらないが、その素描に私は驚いた。まさに「その物の形の白い穴」が、安藤信哉の最晩年 (1983年没)の墨絵の連作に見出されるのだ。これまたネットでは見られない。K美術館から出した 安藤信哉画集に掲載されている。在庫はまだある。素描と墨絵の違いだけ。西と東が交差する。
《 そして、油絵でもそうだが、物の明るい面の輪郭はわざとのように取払われて、物は、 その明るい部分で周囲の空間の一部になってしまう。 》 33頁
安藤信哉の水彩画『ヨットハーバー』1980年……。
http://web.thn.jp/kbi/ando.htm
《 だからかこそ、私たちは限定されることのない、無限の可能性を秘めた存在をそこに 感じさせられる。存在は可能性として現れる。まさに虚々実々だ。それにしてもこの不思議さ、 この見事さ、そして、この自由。 》 33頁
《 安藤信哉氏は、絵画世界に西欧的「自由」の構造 から日本的「自在」の構造へ至る一本の強固な橋を構築したのでした。 》 「安藤信哉(のぶや)・自在への架橋」
http://web.thn.jp/kbi/ando10.htm
その前に紹介されている桜田晴義という画家からの手紙の一節。
《 絵を描くという事がほんものをさがす事だとしたら、絵は、未完成でも、いや、当然未完成らしく 見えてしまうのかも知れませんね。筆のあとをととのえたり、ぬり残しを気にしたりする必要すら その時の画家の心の中にはまったく無いのでしょう。絵描きと職人の違いがその辺にあるのでしょうか。 職人はダイヤをプラチナ台にするか、金の台にのせるかをする作業かも知れません。 私のしている仕事は、どうも悲しい事ながら、絵描きではなく職人の作業のほうが大きいようです。 》 29頁
《 しかし、何と美しいのでしょう。何とただものではないのでしょう。 そして何とほんものなのでしょうか。 》 29頁
昨日につづき午後、専務理事の代わりにグラウンドワーク三島の実践地の案内と交流会。 八時半帰宅。
ネットの見聞。
《 「明星」がフランスで高値で売れるんだそうだ。 》 岡崎武志
http://d.hatena.ne.jp/okatake/
これは持ってない。興味なかった。あるのは「タイムスリップグリコ 思い出のマガジン」、 『月刊平凡』1972年7月号の豆本。このおまけシリーズを揃えようとは思わなかった。
ネットの拾いもの。
《 安全保障というなら、我々の年金と福島原発の安全を、保障してくれよな。 》