「新鮮で生き生きした空間」

 雨が止んだと思ったら切れの悪いナントカのようにちょぼちょぼと、途切れ途切れに降る。 梅雨だ。気合を入れていた午後の用事がなくなって拍子抜け。本でも読むか。
  昨日につづき、洲之内徹『さらば気まぐれ美術館』新潮社1988年4刷を少し読む。 新宮晋の風で動くオブジェ『空のイメージ』(吹田市文化会館ロビー、1985年)について。

《 いい気持だな、とまず思った。私は突然、予想もしなかった別世界へ入り込んだのだったが、 それは陶酔とか幻惑といったものとは反対に、何か人の心を落着かせ、自由にさせる快いバランスの 感覚、知的な静けさと、温いユーモアと、透明な光に満ちた、親しみ深く、懐かしく、しかも全く 未知の空間であった。 》 「一九八五年五月十五日」55頁

 新宮晋のコメントから。

《 歩いたり、立止まったり、階段を登ったり、降りたりしながら、変化する風景を楽しむことが できます。 》

《 私はこの作品で従来のスタティックな室内装飾とはまったく違う、新鮮で生き生きした室内空間を つくれたように思います。 》

 「室内」を「屋外」に替えると、源兵衛川の風景になる。
 小野木学の絵について。

《 最初、作品を見ながら、一方でビートルズのテープを聞いていた。すると、歌はラジカセからではなく、 絵の中から聞こえてくるような気がする。私には初めての、思い掛けない経験であった。 》  「朝顔は悲しからずや」73頁

 絵からは物語性だけはでなく、音楽性もよく感じる。味戸ケイコさんの絵からは、音楽性もよく感じる。 今、味戸さんの絵を見たら、野島稔の演奏するリスト「ラ・カンパネッラ」が聞こえてきた。私にとって 絵と音楽は密接につながっている。洲之内徹が七十歳を過ぎるまで、絵と音楽の関係に無関心だったことに ちょっと驚く。まあ、自分にとって当たり前のことが、人様には全然そうではないってことはままあること。
 ヘミングウェイ「女のいない男たち」を連想させる「女のいない部屋」の章は音楽づくし。

《 ところで、この異変の最後の(とはいえこの異常現象はまだ当分続きそうだが)一週間程は、 私はもっぱらコルトレーンを聞いていた。コルトレーンのレコードがいま五枚ある。(中略)音楽のことを 語る言葉を知らないので、私は、かつての軍参謀部員だった頃の私の用語でこの感じを言わせてもらうが、 モダン・ジャズというのは、戦略ではなく戦術、外線作戦ではなく内戦作戦だという気がする。 戦場から離れたところで作戦計画を立てるのではなく、当面の敵に膚接して戦闘を実施する。即戦即決だ。 何より必要とされるのは柔軟な戦闘行動である。 》 77頁

 文はまだ続くが、嬉しい比喩だ。そしてこれは『空のイメージ』の「新鮮で生き生きした室内空間」 へつながる。

《 コルトレーンのサックスの音がまた、演奏のその一瞬毎に生まれているという感じがする。 レコードで聞いているのに、この一瞬にはもう再びは遭えないという気がするのだ。そして、 コルトレーンと戦争との違いは、彼のアルト・サックスの音が本当に心の安らぎを与えてくれることである。 どうしてあんな音が出せるのか。心情と表現が完全に一つになって間然するところがない。 》 78頁

 よほど気に入ったのだろう、「モダン・ジャズと犬」という章もある。

《 なぜだろう。それはたぶん、この三ヵ月ほど、私がひたすらモダン・ジャズを聴いたからにちがいない。 (中略)目下のところはモダン・ジャズに夢中になっている。この三ヵ月で私はレコードを三百枚くらいは 買ったろう。原稿料はあげてレコードを買う。 》 116頁

 それまでの「聞く」が「聴く」に変わっている。

《 私はモダン・ジャズの巨人たちのシリアスな姿勢に打たれ、思ってもみなかったモダン・ジャズの美しさに 息を呑む思いがする。古い美は滅びはしない。しかし、新しい美も絶えず生まれてこなければならない。 どんな時代にも、その時代ならではの美が生まれるのだ。 》 117頁

 なんとも嬉しい。

 ネットの見聞。

《 衆院憲法審査会で憲法学者が安保法制を「違憲」とした事に関して、ドイツで記者会見した 安倍首相は憲法違反ではないと確信すると述べた。しかし反論になっていない。 いくら常識のない「最高責任者」が「確信」しても憲法解釈は勝手に変えられないのです。 》 金子勝
 https://twitter.com/masaru_kaneko

《 憲法は国の最高法規
  政府の勝手な「裁量」で判断されてはたまらない。 》 清水 潔
 https://twitter.com/NOSUKE0607

 ネットの拾いもの。

《 「渡辺謙は英語の発音に難があるが――」いいじゃん、シャム王なんだから、 そのために家庭教師雇ってんだから。 》