『 名画感応術 』

 昨日のPAMのタイポグラフィ展でとりわけ心に深く響いたのは、原弘(はら・ひろむ)の ポスター二点だった。その画像があった。これは欲しい! と思った。なんと肉感的な 三つの涙点だろう。トメ、ハネの肉感的躍動感。これぞ名作。また見に行くつもり。
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 床に重なった紙類を整理したら、横尾忠則『名画感応術』光文社文庫1997年初版が出て来た。 再読。横尾忠則の油彩画はさほど良いとは思えないが、彼の審美眼には一目を置いている。 私には岡本太郎と同じような立ち位置だ。

《 画家がポスターなどのコマーシャルアートを手掛けると、どうも甘く見られる風潮がある。 ファインアートとコマーシャルアートの間には一線が引かれ、前者を上位、後者を下位として 位置づけられているのが現状である。 》 130頁

《 ファインアートが手を下したものがすべて宝石のように高価な価値を持つという イリュージョンからわれわれは眼を覚まさなければならないのである。 》 134頁

 同感。上記原弘のポスターは名作であり、この二点に抽象画でもいい、並べてみれば、 いかに優れたセンスで制作されているか、判別できよう。重々しくないが、軽くもない。 字体の平準な重さと存在感、平衡感覚、分割構成、じつに見事な権衡だ。

《 芸術作品の純粋観賞にとって作品解説が時には邪魔になることがある。作品の制作と同様、 観賞もまた自由な態度が必要だ。「何が描かれているのか」ということは、さほど重要ではない。 観ればわかる程度でいいと思う。作品の前では衣服の胸のボタンをはずして、左右に大きく 開いてみせるような、そんな開かれた心で受け入れる気持が大事である。そうすれば作家や 作品の無意識な情報が、ストレートにあなたの魂に語りかけてくるにちがいない。 》 109頁

 鑑賞術ではなく感応術。

《 リアリズムに描写した絵が、必ずしもリアリスティックな感情をかきたてるわけではない。》  167頁

《 無意識は直観的な閃きを導き出す。芸術表現にとって最も重要な要素といえる。頭で描いた 作品はどうしても自我の支配によるので、「考え」を表わそうとする。つまり思想を云々したものに なる。/ だけど直観によって作成されるものは、むしろ「想い」が表われる。言語とか論理では 説明できないものだ。 》 180頁

《 もちろん芸術を行なうということ自体官能的な行為である。 》 222頁

《 「かくあるべき」であるために芸術が存在しているのではない。芸術行為もそれ字体が 目的である。何かの大義名分のために芸術はあっちゃいけないと思う。 》 223頁

《 芸術を知的に認識することだけが芸術ではない。まず芸術は感応するものだとぼくは思う。 また感応は官能に通じる。 》 225-226

《 芸術というのは大なり小なりなんらかの形でその時代の様式を受け入れているものが認められ、 影響の外にあるものはいつの間にか闇の中に葬られてしまう運命にあるといってもいいだろう。 》  75頁

 時代は固定せず、つねに移ろってゆく。浮かぶ瀬もある。いつ浮かぶかはわからぬが。

《 美術全集にモローの作品集が組み込まれるというようなことはまったくない。といって モローが二流、三流の画家かというとそうではない。れっきとした一流の画家である。なんといっても マチスの先生でもあったのだ。 》 229-230頁

《 だけど今モローがぼくたちの前に新たな意識を持って現れようとしているような気がする。 》  231頁

 私がギュスターヴ・モローの絵に出合ったのは、当時新刊で買った『現代の絵画7 19世紀の夢と幻想』 平凡社1973年初版だった。モローの絵が一頁一点、計十八点を掲載。横尾が知らないだけ。

《 二十世紀には純粋絵画の流れが物語性を排除してきた。 》 92頁

 二十一世紀は物語性の再評価、復権の世紀になるだろう。物語ではなく、物語性。

 昼前、佐倉市から農業関係者十数人が視察に。源兵衛川へ案内。
 午後、雨の合間に食料品を買う。卵とメキシコ産の南瓜をそれぞれ鍋にかける。いくつもの 段ボール箱から手前の一つを取り出し、収めてある昭和時代の私信を整理。『ガロ』のマンガ家 つりたくにこさんからの私信が六通。それから「黒鳥館主人」中井英夫氏からの私信が二通。 葉書の結び。

《 汚い字で御免なさい。今日はこれから金子國義展へ行く。 消印:1982年12月15日 》

 当時中井氏の近所に住んでいた詩人・童話作家工藤直子さんからの私信が三通。

《 東京へ来て住むと、暮らしのリズムがどうしても忙しくなりがちです。 》 世田谷区東松原  松原マンション 消印:1983年9月1日

 南柯書局からの出版案内状。1977年のようだ。

《 モネルの書 シュオブ小説全集 第一回配本第五巻 大濱甫訳
  霊感の源泉を恐怖と憐憫とに求めて狂気のなかに夭折した幻視家。ファナティックな書淫であり、 中世語に該博な知識を誇った鏤刻の士マルセル・シュオブのすべての小説を全五巻に編む。 》

 三巻で途絶。今やっと、マルセル・シュオッブ全集が国書刊行会から出版された。
 http://www.kokusho.co.jp/np/isbn/9784336059093/

 ネットの見聞。

《 安保法案の行方と、その国内報道に世界のメディアが注目中。
  孤立しながらも、全くブレずに反政権キャンペーン報道を続ける「東京新聞」には、
  ピューリッツァ賞を取って欲しいと本気で思う。
  (新聞協会賞は政権べったりの新聞社の横槍できっと取れないだろう) 》 清水 潔
 https://twitter.com/NOSUKE0607

 ネットの拾いもの。

《 在京各国友人の間で、沖縄追悼式での安部首相のスピーチの話題で持ちきり。 スピーチの内容よりも、NHKなど日本のテレビ各社の技術力に注目。各国の放送で はっきり聞こえるあれだけの激しいヤジと罵声を日本のTVでは殆ど聞こえない様に 加工して放送する技術は流石にク-ルジャパン!と感心しきり… 》

《 毎回ドリフが1位になった「PTAが見せたくない番組」みたいに「自民党が見せたくない番組」 を発表してほしい。見まくるから。 》

《 見知らぬ知人が多すぎる。 》