朝、ゴミを出し、資源ごみを運び、洗濯物を干し、すたすた三島駅南口へ。九時前に到着。 日大生二十人余りを小雨の中、グラウンドワーク三島の小松理事長を先頭に源兵衛川へ案内。 お昼過ぎ帰宅。
《 大谷崩れを見てショックを受けて以来、身にしみて思うのは、崩壊とは計り知れない 大威力であり、想像もできない巨大なエネルギーだということである。 》 28-29頁
《 私はそれまで崩壊を欠落、破損、減少、滅亡というような、目で見える表面のことにのみ 思っていた。弱い、は目に見える表面現象をいっているのではない。地下の深さをいい、 なぜ弱いかを指してその成因にまで及ぶ、重厚な意味を含んでいる言葉なのだった。 》 35頁
《 土の崩れは、まざまざと人を崩しているものだった。それが書けるだろうか。書けば 今日のその人の状態、いまのその人の思いを、固定させてしまうことになるのだ。そこに 遠慮があった。土さえおさまれば、元の間柄や付合も戻るだろうし、好意は素直に好意として 受取られ、気まずかった思いも消えるかもしれないのである。それを固定してよかろうか。 その遠慮が、重苦しかった。 》 73頁
《 なにも美しいもの、いいものだけが人を惹くのではない。大自然の演出した情感は、 たとえそれが荒涼であれ、寂寞であれ、我々は心惹かれるのだ。熔岩も噴煙も一面は害、 一面は魅力の、二面性をもつものなのだった。 》 150-151頁
解説で川本三郎は、国木田独歩が武蔵野の雑木林を風景として書いたように、幸田文は 「崩れ」という風景の発見者になったという。たしかに。
《 ところで、七十歳を過ぎてからなぜ幸田文はこんなに憑かれたように崩れを見る旅を 続けたのだろうか。 》
同じ疑問を私も抱いた。川本は、崩れに父幸田露伴のイメージを重ねたのでは、と推測。 ありうることだ。
ネットの見聞。
《 言論の自由とは
私は私の言いたいことを言う。あなたはあなたの言いたいことを言う。
その理非の判断はそれを聴くみなさんにお任せする。
ただそれだけのことである。 》 内田樹
http://blog.tatsuru.com/2015/07/01_1542.php
《 再掲:自民改憲案第21条
集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、保障する。
2 前項の規定にかかわらず、公益及び公の秩序を害することを目的とした活動を行い、 並びにそれを目的として結社をすることは、認められない。
→第2項を追加し第1項を骨抜きにしているのがポイント。 》 想田和弘
https://twitter.com/KazuhiroSoda
《 新国立競技場問題は結局、日本的な責任棚上げ型組織 (最たるものが中央官僚機構)の中で大きなプロジェクトが一度決定してしまうと、 誰もが間違ってると認識していても誰も止められないというオールドスクールな問題なんですね。 原子力船むつしかり、諫早湾干拓事業しかり、核燃料サイクルしかり。 》 クリエネ(安保関連法案は憲法違反だ)
https://twitter.com/morecleanenergy