『あんちりおん』

 一昨日、福山知佐子さんから雑誌『あんちりおん』球形工房を恵まれる。総特集「福山知佐子『反絵、触れる、 けだもののフラボン』を読む」。これを読むために『反絵、触れる、けだもののフラボン』を昨日再読。
 http://blog.goo.ne.jp/anti-lion/e/9058c9bab36f1799e61dc98242d4c982

 私は福山知佐子さんの正しい受容者だろうか、とやはり今回も考えこんでしまった。昨日書いた「擦過傷」 のような皮膚がひりひりする文章は、じつは私の最も書きたくない表現なのだ。我が身に密着した表現は、 なるべく回避すべき、という考えが私にはある。『反絵、触れる、けだもののフラボン』は魅力ある本だ。 それは十分認めるが。

 昨日は画家の上條陽子さんから、横須賀美術館で開催中の個展『タブラ・ラサ tabula rass ──白紙── 』 の図録を恵まれた。今年の新作『分断』に強く惹かれた。解説は福山さんの本にも文を寄せている水沢勉。
 http://www.yokosuka-moa.jp/exhibit/josetu/sho1502.html

 福山さんと上條さんの視線の相違を考えた。福山さんには廃墟へつながる擦過傷を感じる。上條さんには 瓦礫のなかで生き延びる人の痛切を感じる。福山さんの文章が私的に密着するがゆえに距離を置いて読もうと する自分がいる。『…を読む』にはグラック、ブランショベンヤミンほか多くの文が引用されれている。 それで福山さんの文章への理解が進むとは思えなかった。福山さんの文章に直にぶつかる、そして感じ、 アーダ、コーダと勝手に考えるほうが、よい気がする。的外れでいい、疑問符を投げる文を読みたかった。 また、「反絵」の意味するものがよくわからない私は、美術の辺境にいるのだろう。しかし、うまく書けんなあ。

 ネットの見聞。

《 しかしまあ、今後の年表に記されるだろうね。例えば、2015年7月、東京都現代美術館での企画展で、 会田誠ら一家による文科省批判の檄文と当時の安倍首相を模した映像展示に対し、長谷川祐子ら館の展示責任者が 撤去・改変を要請。会田はこれにSNSなどで対抗。世論を受け、館はこれを断念、とか。 》 椹木 野衣
 https://twitter.com/noieu

《 戦争法案に反対するOLDs (Otoshiyori for Liberal Democracy)、8月1日午後5時から巣鴨で街頭行動って、 その手があったか、さすがじゃ〜! 》

 ネットの拾いもの。

《 ウルトラマンとその一族郎党が、放射線の影響でああなっちゃった、というのが進撃の巨人だったのか。 》

《 「ぶれない、ウソつかない、TPPに反対」とした自民党ポスターの公約成就おめでとうございます。 》