『自然と美学』

 ロジェ・カイヨワ『自然と美学 ─形体・美・芸術─』法政大学出版局1972年初版を読んだ。 形体、美、芸術の三章からなる。本文百ページに満たないけれど、内容は濃く深い。参った参った。

《 まず、本書は、著者が「対角線の諸科学」とよぶ広範な領域のいわば交点の一つとして、 多年にわたる探究と思索の成果を、しかも原初の稿を約十分の一にも煮つめて示したものである。 そして本書じたいは解説をこばみ、むしろ読者各人をあらためて美の思索にいざなうものなのだろう。 》  「訳者あとがき」

《 しかし、さきにも述べたように、それをあまりに簡潔に要約しているため、ことにかれの合理的思索の 重要な道具であるフランス語をはなれては、その道筋を明確にたどろうすれば危険がともなう。翻訳では、 その発想・展開をできるだけ忠実にたどろうと務めたが、かならずしも成功したとは言いかねるだろう。 》  同

 荒天の海をある地点までは航海したつもりだが、その先は岩礁に乗り上げた座礁船の気分。どこで 航路(理解)を間違えたか。荒天の空には星ひとつ見えぬ。気になった箇所から。

《 これらの異常な、隔たった、稀な、容易に分析できない関係から最後に生まれるのは、初めは 何ものかが組織しているとは見えない盲めっぽう設計された建造物とほとんど異ならない迷路的な線である。 》  75頁

 「松岡正剛の千夜千冊」から。

《 いまでもよく憶えているが、ちょうど『自然と美学』を読みおえたらしい杉浦康平さんが、「いや、 これでみんな言い切っているね。すごいよ、カイヨワは」と言っていたものだった。  》
 http://1000ya.isis.ne.jp/0899.html

 このあたりから理解の糸口が見えてくるかも。

 ネットの見聞。

《 本の解説を書くたびに「解説とはそもそも何なのか、誰が何のために読むのか、自分が書いているものは 果たして解説なのか」と自問することになる。 》 中野善夫

 先だって知人から、呉一騏の水墨画についての拙文を、難解だと言われた。私の拙文は、画家が言葉にしない (し得ない)と私が推察する制作意図を文章にしたもの。画家から「そうなんです」と言われるのが喜び。

 http://web.thn.jp/kbi/go2.htm
 http://web.thn.jp/kbi/go3.htm

 昨日の『あんちりおん』掲載の文章は、どうなんだろう。

《 渋谷の高校生デモや、フクイチ3号機プールからの燃料交換機撤去が成功したのは喜ばしい事だが、 ネット上は「喜ばしいニュース」で溢れ、昨日昼過ぎにフクイチの作業員が亡くなったことはスルーされている。 ひと一人の死は、どうでも良いのだろうか。命とは、そんなに軽いものなのか。 》 春橋哲史
   https://twitter.com/haruhasiSF

《 コミケは、何十回も経験を積み重ね、それも「盆暮れ」という気候の厳しい季節にばかりやって来たので、 体制ができている。医療関係者だけでどれだけの人数が待機しているかw みんな無償のボランティアです。 商売人が真似できるもんじゃない。 》 ネットゲリラ

 ネットの拾いもの。

《 コミケはまさに軍勢だしな。2000年くらい前のローマ軍の人が見たら練度の高さに驚くだろう。 》
 http://livedoor.blogimg.jp/harablack-yabaisekai/imgs/d/6/d68629e0-s.png

《 確かに戦後教育は失敗してるなあ…。民主主義とか基本的人権を理解してない人が「自由民主党(笑)」 から国会議員になれるんだもんな…。 》

《 日本は
  世界の悪役として
  再デビューさせられる予定でもあるのか 》

《 「とりま」は「とりあえず、まあ」を略した若者言葉。 》