『 TA ONEIRA GINONTAI PALI 』

 ギリシャのベテラン女性歌手ハリス・アレクシーウ HARIS ALEXIOU の去年のCD『 TA ONEIRA GINONTAI PALI 』は 何度聴いてもいい。気づかなかった局面を知り、深い感銘を覚える。昨夜も何気なくかけて没入してしまった。
 http://elsurrecords.com/2014/10/20/haris-alexiou-ta-oneira-ginontai-pali/

《 アルバムタイトルは “夢をもう一度”  》

 2015年の日本のようだ。

《 何が言いたいかというと、40年前は今よりはるかに面白い時代だった。
  役者も歌手も芸人も、みんな強烈な個性と実力があって、もの凄いレベルだった。 》

 と、ツイートする人がいるが、2015年は四十数年ぶりに面白い大波がやってきた気がする。 当時と違うのは、それに敏感に反応するのがマスメディアではなく、ネット民=ネチズンということ。

 グラウンドワーク三島で十代二十代の人たちと一緒にボランティアをして実感するのだが、日本の 将来は大丈夫。彼らに任せることができる、ということ。駄目な人はそりゃたくさんいるだろうけど、 彼らがいるから大丈夫、と予感する。前期高齢者目前の私(ハリス・アレクシーウと同年)は、若い人を 後押し。結局、三十代四十代の一部が難しいのではないかな。彼らだって変貌できる。なにはともあれ、 全学連全共闘がそうであったように、歴史に刻印された運動体・集合体でさえ、その当時の同世代の 一割もそれに関わっていなかった。ただ、そういう突出した一握りの人たちが、時代を変えてゆくし、 時代を刻印する。突出する運動体の中にいると、後々の人生の弾み、バネになる……血が騒ぐなあ。 当時学生運動で一緒だった女性は、辺野古へ引っ越して呑み屋をやるか、と言っていたが、よくわかる。 彼女も血が騒ぐのだ。歴史の現場に立ち会いたいが、しかし、彼女も私もまだ動けない。

《 フランス文学者の出口裕弘さんが心不全のため、都内の病院で死去。86歳。 》
 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150803-00000082-mai-soci

《 正確には彼が訳した本ですね。シオランバタイユ。 》

 上記ツイートを見て、本棚の『ジョルジュ・バタイユ著作集』二見書房を抜く。第9巻『ラスコーの壁画』が、 出口裕弘の訳。E・M・シオラン『生誕の災厄』紀伊國屋書店1976年初版はアフォリズム集。時折読む。

《 挫折によって、たえまなく相貌を変えさせられる生活。 》 68頁

《 孤独を守る唯一の道は、あらゆる人間を傷つけることにある。まず手始めに、自分の愛する人びとを。 》  134頁

《 肝心なことはひとつしかない。敗者たることを学ぶ──これだけだ。 》 162頁

《 前世紀のある哲学者は、無邪気にも、ラ・ロシュフーコーは過去については正しかったが、 未来に関しては権威を失うだろうといった。進歩の観念はかくも深く知性を毒するのだ。 》 176頁

《 もう何年も、コーヒーぬき、アルコールぬき、煙草ぬきの生活だ。幸いなことに不安ぬき というわけにはいかず、これがどんな強烈な昂奮剤の代りでも立派に務めてくれる。 》 202頁

 ネットの拾いもの。

《 東京五輪大会を控え、我が国領土を脅かす海外からの軍事的挑発行為に対し「もはや戦後ではない」 という安倍総理の掛け声のもと、「日本列島改造論」と「所得倍増計画」に基づき、日本は富国強兵に努めました。 これをアベノミクスといいます。(偽・日本史) 》

《 「NHK、うちはいりませんから勝手に電波を送らないでください」法案を通過させたいですね。 》

《 「安倍にもマケズ」 》