『 日本美術全集 第19巻 』 その2

 一晩経つと喜びがじわーっと湧いてくる。K美術館をやって無駄ではなかった、とやっと実感。 独りよがりの美意識で、とんでもない勘違いをしているかもしれないが、と自覚しながら美術品を購入、 展示そして保管。私の死後、毀誉褒貶どちらへ針は振れるだろう、信じるものは救われる、 信じるものは救われない、どっちだろう。ワクワク……やや不安だった。安堵。

 『 日本美術全集 第19巻 』、椹木野衣「はじめに」から。

《 その結果、仮にここで強調した戦後美術の解釈が、当面は多少なりとも変わってみえたとしても、 一○○年先、ニ○○年先には、当然のものになっていることを私は確信する。 》

 『 日本美術全集 第19巻 』、論評を読んだ。執筆者は椹木野衣山下裕二伊藤剛、土屋誠一、 暮沢剛巳、そして福住廉。それぞれ力のこもった論評だが、椹木野衣「よみがえる『戦後芸術』」が、 俯瞰的な視点から構造的に論じていて、一度読んだきりでは深部まで理解が届かない。印象深い一節を。

《 彼らの作品については個別の解説を参照するとして、ここでは一九五○年代初頭に鉛筆による 連作素描『浴室』を第一回「ニッポン展」(東京都美術館)で発表した河原について触れておきたい。 外界から閉ざされた、タイル貼りで一見清潔そうだが、外界へと通ずる出口のない密室の情景は、 どこか藤田嗣治の作戦記録画『アッツ島玉砕』を思わせる。切り刻まれた人体が、水平感覚を失ったまま 増殖と反復を繰り広げるその様子は、外部を見失って、ひたすら自壊へと突き進んでいった、戦中の 軍部からの委嘱による作戦記録画がもつ密室的な自閉空間についての、戦後の画家からの、 作品を通じての数少ない鋭角的な回答であったといってよい。 》 177-178頁

 河原温の『浴室』シリーズと藤田嗣治アッツ島玉砕』をつなげるとは、すごい着想だ。

 ネットの見聞。

《 どんな写真も「巨匠の名画」風に変換するアルゴリズム 》 WIRED
 http://wired.jp/2015/09/04/art-algorithm-recreates-paintings/

 ネットの拾いもの。

《 いやー、英語を知らんというのは恐ろしいもので、ずっとスリム・ゲイラードの「ダンキン・ベーグル」 という曲はダンキンドーナツのことを歌ってると思ってたが、録音が46年でダンキンドーナツ創業が 48年やから合わん。ダンキンって、コーヒーとかに浸して食べるという意味だったのか。今知った。 》