『 日本美術全集 第19巻 』 その4

 『 日本美術全集 第19巻 』、203点の図版で、絵画では味戸ケイコさんは谷岡ヤスジに次いで小さい。 谷岡ヤスジの絵はマンガの一コマで、5×9センチ。味戸ケイコさんは22×15センチ。サムホール大。 この大きさで歴史に遺るのだから、すごい。椹木野衣氏の慧眼に敬意を表する。

 『芸術新潮』1993年2月号は特集「アンケート 戦後美術 ベストテン! 1945〜1993」。 『 日本美術全集 第19巻』は「戦後〜1995」。期間はほぼ重なる。「30氏が厳選した、 これぞ戦後美術の傑作だ!」と豪語する『芸術新潮』特集から二十余年を経て美術への見方はどう変わったか。 『芸術新潮』の問いかけ。

《 戦後わが国で生み出された真砂の数ほどの美術作品……そのうち、真に前衛の道を切り拓いた作品とは、 そして次代へと伝えてゆきたい作品とは何か? 》

 第一位を獲得した河原温『浴室』シリーズは、『 日本美術全集 第19巻』では未掲載。が、 5日に記しているように、概論では取り上げられてはいる。

《 在日期とは似ても似つかない作風に変貌して以降、当時の作品を印刷を通じて公開することをほぼ 全面的に封印してしまったことは、》 178頁

 と記されているので、掲載できなかったのかもしれない。ここには挿画として一点が掲載されている。
 重なる美術家は、赤瀬川原平荒川修作岡本太郎草間彌生斎藤義重ら、かなりあり、重ならない 有名作家もかなり。椹木野衣は『 日本美術全集 第19巻 』「はじめに」に書いている。

《 したがって、美術館などでの展示では魅力が伝わっても、書物による複製では、必ずしも十分な鑑賞にまで 至らないと判断したものは、思い切って割愛した。 》

《 けれども、そのうえで私は、現状で考えられる、もっとも真っ当な「戦後の日本美術」を示したつもりである。  》

 『 日本美術全集 第19巻 』で椹木野衣氏が参考文献のひとつに挙げている図録『戦後文化の軌跡 1945-1995』 朝日新聞社1995年は、目黒区美術館での展示が記憶に鮮やか。二十年の隔たりが、どのようなかたちで顕れているか。 ワクワクして図録を開いたのだが、森山大道出世作写真『犬「狩人」』1971年は、犬は右向きだが、 『 日本美術全集 第19巻 』では『三沢の犬』1971年という題で、犬が左向き。ネット検索では両方の画像。 犬はどっちだ。当初は右向き。後で左向きになったようだ。しかし、そんなことがあるのか。

 『戦後文化の軌跡 1945-1995』は、戦後文化がテーマなので、テレビCMなど幅広く収録。これでもか、 と詰め込んである。同じ作品は、秋山祐徳太子荒木経惟日比野克彦、バイク「スパーカブC−100」、 ウォークマン「TPS−L2型」など。三宅一生、奥村靫正、資生堂のポスター、赤塚不二夫谷岡ヤスジなどは 違った作品。味戸ケイコはない……。当時の心境が思い出される。

 携帯電話が鳴るとビクッとする。淹れたコーヒーカップを手にしたら呼び出し音。手がぶれてこぼす……。 内野まゆみさんからフェイスブックに載せたよ、と。

《 最近ご機嫌なBoss
  理由は一つ! 以前、Bossの私設美術館で展示していた味戸ケイコさんの絵本の原画が
  『 日本美術全集 第19巻 』に納められたから・・・ 長年、味戸ケイコさんの、一番で、
  たったひとりの応援団でありつづけたBossは、この上もない幸せな時間の中にいる
  64歳で夢がかなったのは幸せだと、子供のように喜ぶ姿をほほえましくも思う(?) 》

 最近は歳のせいか、涙腺まで弱くて……。

 ネットの見聞。

《 映像の世紀を見て、あらためて第一次大戦に深くかかわらなかったことが日本人の戦争観を おかしなものにしたと思った。日本人は戦争が算盤勘定第一の大量殺戮だと理解せず、古風な悲愴美や 英雄幻想を抱いたまま第二次大戦に突入した。その結果が最近ますますもてはやされている「特攻」 なのではないか。 》 芦辺 拓
 https://twitter.com/ashibetaku

 ネットの拾いもの。

《 今一番マイナンバー制度を研究して熟知してるのは、たぶん詐欺とかの犯罪系のプロの人たちだよね。  》

《 上海のタクシーで久しぶりに派手に「俺は日本人が嫌いだ!何故だかわかるか?」とからまれた。 そういう時はいつも「だいたいわかる。ところで俺は中国人が大好きだ!何故だかわかるか?」 と返すとだいたい黙る。 》