『いかにして超感覚的世界の認識を獲得するか』

 ルドルフ・シュタイナー『いかにして超感覚的世界の認識を獲得するか』ちくま学芸文庫2007年7刷を読んだ。

《 むしろどのようにこの五分間を使用するかが大事なのである。/ 日常の時間における場合とは 異なる色合をもたねばならない。 》 40頁

《 大切なのは特定の時間内にどのくらい進歩したのではなく、真剣に求めるということだけである。 》  46頁

《 彼は日常性から離れる。日常の騒音はしずまり、彼の周囲を沈黙が支配するようになる。外からの 騒がしい印象を想起させるような想念は一切排除される。内部における静観、純粋霊界との対話が 彼の魂のすべてに染みわたる。 》 47頁

 このような場をK美術館に考えていた。味戸ケイコ、北一明をはじめとする作品に心静かに接する場。 そんな場にしたかった。それを下手に前面に押し出すと、「純粋霊界との対話」のような違った方向へ 誤解されてしまう。「作品との純粋な対話」の場を目指した。が、美術館に日常を持ち込む人が殆どで困惑。

《 ここで強調しておく必要があるのは、神秘学徒は特定の事象が何を意味しているか、あれこれ考えることに 終始してしまってはならない、ということであろう。このような知的作業は正しい道を見失わせるだけであろう。 もっぱら生きいきと、健全な感覚と鋭敏な観察力を用いて、感覚世界に観入し、そして自分の感情に自己を 委ねればよい。事物が何を意味するかを思弁的な悟性の力で決定しようとしてはならない。事物そのものに 語らせねばならない。 》 58-59頁

 私の美術鑑賞法にかなり重なる。

《 註 ここでつけ加えておけば、自己の内部に沈潜する静観的態度と結びついた芸術感覚は霊的能力を 発達させるための最上の前提である。芸術感覚は事物の表面を貫いて内奥の秘密にまで及ぶ。 》 59頁

 私はユング心理学に惹かれているが、霊的能力とかは、集団的無意識にどこか近い気がする。霊は上に、 無意識は下に向かうが。しかし、解説で訳者高橋巌は書いている。

《 本書はいかなる意味でも、社会道徳的により高次の世界を求めてはいない。むしろ社会道徳的には 「高い」方向へ上昇するのではなく、「深い」方向へ下降していかなければならない。 》 282頁

 私のような読み方、受け取り方は間違いか。まあ、霊的存在ではないわな、私は。求めてもいないし。 輪廻転生も無いと考えている。

《 あなたの思考力は物質的感覚的な世界の中でいとなまれてきたこれまでの生活から獲得された。 今あなたが獲得するものはこの世界を超越している。だから体験の新しい高さを古い尺度で計ろうとしては ならない。 》 84-85頁

《 それまでは単なる個々の形、音、色に過ぎなかったが、それらが偉大な関連の下に現れてくる。 》 95頁

 芸術の創造営為を語っているよう。

《 このようにして自分で自分に影響を与えながら、ますます深く外的感覚には隠されている人間本性の秘密に 光をあてる手段、方法を見出していく。そして遂に宇宙に存在するその他の一切と人間本姓との間の神秘的な関連を 洞察するまでに成熟する。 》 86頁

 一昨日の仮説「明・暗、宙・空、虚・無」を連想。なんなんだ。

 ネットの見聞。

《 「ジャーナリズムとは、報じられたくない事を報じる事だ。
  それ以外のものは広報にすぎない」 》 ジョージ・オーウェル

《 文系廃止通知:ミスでした 真の対象、教員養成系のみ 国立大巡文科省 釈明に奔走、撤回はせず 》  毎日新聞
 http://mainichi.jp/shimen/news/20150927ddm041100066000c.html

《 <憲法解釈変更>法制局、経緯公文書残さず 》 毎日新聞
 http://news.yahoo.co.jp/pickup/6175744

 ネットの拾いもの。

《 「一億総活躍」ねえ。
  個人的イメージとしては、このままだと
  「一億火の玉」よりも、
  「一億火だるま」の方が
  近いところに行きそうな気がするんだけどねぇ。 》

《 字が書けない総理大臣、字が読めない副総理、3つ以上は「沢山」という官房長官。なんと素敵な政府だろう。 》