『死もまた愉し』

 結城昌治『死もまた愉し』講談社1998年初版、語りおろしの部分を読んだ。後半部のの俳句は明日に。

《 「死もまた愉し」は、平成七年二月から六月にかけて、延べ十時間にわたって結城昌治氏によって 語り下ろされたものである。結城昌治氏は平成八年一月二十四日に逝去された。 》 編集部

 東京の生れから最近の心境まで、人生を語っている。我が身を振り返ると、これほどに語ることが あるかなあ、だ。我が人生は傍からは恬淡としているように見えるだろう。内心は谷あり急坂あり、 綱渡りあり、だが、地獄谷まで落ちなかったこと以外はろくに憶えていない。ボケたか〜。

《 家族のことなど考えたらきりがありませんけど、いちおう目安にした仕事は終えたと思っていました。  》 14頁

《 十年というのが、創作力の限度だろうと思います。 》 84頁

《 だいたい絵描きも、もの書きと似たようなもので、創作力がほとばしる時期はかぎられています。 》  86頁

《 死んでもいいやというのは、もう人生に悔いはないとか、死にたいする心がまえができたとか、 そういう問題とはまったく関係なく、ここまで生きれば十分だと思っているわけです。 》 141頁

《 しかし、最後に行き着くところで、誰かを愛するということが、いちばん大事だと思う。 》 152頁

 ネットの拾いもの。

《 どうも隣で話してた女性が歯医者さんらしく、「ちょっと痛いだろうなとか、患者さん 我慢してるなって思ったら男性の患者さんの場合、おっぱい頭にくっつけてあげれば大抵サクサク治療が進む」 みたいな事話していて、なんだか少しホッとしました。 》

《 マンションは万損、億ションは億損だったw 》

《 センチメートル・ジャーニー 》