『俳句つれづれ草』その三

 結城昌治『俳句つれづれ草 昭和私史ノート』朝日新聞社1985年初版を読み終える。

《 しかし、軍人の多くはそれほど潔くありません。本土決戦と一億玉砕の代わりに詔書必謹と 一億総ざんげが合言葉になりましたが、本土決戦を叫んでいた連中にとっては「国体護持」と 「耐ヘ難キヲ耐へ──」という詔書必謹が変身の免罪符になった感があります。 》 181頁

《 検閲制度の廃止、人権の確立、治安維持法の撤廃、政治犯の釈放、労働組合の奨励、 婦人参政権の授与、学問の自由、秘密警察と思想統制の廃止、財閥解体、農地解放、 天皇家資産の凍結、国家神道の廃止、戦時中要職にあった者の追放……
  ざっと並べてもこんな具合です。これらを裏返してみれば、敗戦前の日本のすがたがわかります。 基本的人権もデモクラシーも初めて聞くことばで、平凡な庶民には空腹を満たすほうが切実な 問題だったでしょうが、たいへんな改革だったと思います。 》 189頁

《 昭和二十三年夏の街頭はすでに敗戦などどこ吹く風のようで、男たちはリーゼントヘアにアロハ、 女たちはロングスカートが流行でした。 》 206頁

《 そんな八方ふさがりの昭和二十三年十一月、東京裁判極東国際軍事裁判)の判決があり、 東条英機ら七人が死刑、十八人が終身または有期刑の言い渡しを受けました。本来なら、 戦戦争責任の問題は国民自身が解決すべきだったでしょうが、東京裁判で明らかにされるまでは、 満州事変の真相なども知らないでいたし、ほとんどの国民が戦争に協力していたので、みんな そっぽを向いて東京裁判に下駄を預けてしまった感があります。 》 209頁

《 日本は昭和三十五年「(一九六○)の安保闘争をさかいに、四年後の東京オリンピックを経て 高度成長をとげ、日米軍事同盟を強化しています。もうみなさんご承知のとおりで、拙稿もこの辺で おしまいにします。 》 247-248頁

 戦中と敗戦直後がとくに参考になった。日本には未だに民主主義が根付いていないようだ。しかし、 少数でも若い人たちに根付いてきたようだ。そこに期待する。

 ネットの見聞。

《 絵を売ることには全く抵抗が無い。私の絵ができれば何百年も残ればいいと思うが、 残すのは私の仕事ではない。誰かが気に入って買っていって、何十年か後に別の誰かが また気に入ってくれたら絵は残る。作者が手元に置いておいたら作者の死と共に処分されて しまう可能性が高い。作品の力を信じて手放す。 》 林由紀子
 https://twitter.com/PsycheYukiko

 ネットの拾いもの。

《 「死ぬよりも、上手に老いることの方が難しい時代になってしまった」 》

《 「ご理解いただけるよう丁寧に説明していく」というのが実質的には「同じことを 繰り返し述べ続けることにより相手が諦めるのを待つ」という意味で用いられていることが多い。 》