紀田順一郎『古書街を歩く』新潮社1979年初版、前半を読んだ。「即売展狂騒曲」「初版は尊し、 されど」「”幻の書物”をめぐる人々」など雨の日の読書にふさわしい十八章。「文庫の森をさ迷って」 は、『ニッポン文庫大全』ダイヤモンド社1997年初版への助走か。裏表紙の星新一の推薦文から。
《 古書店のなかの、時空を超えた、あの奇妙な感覚を文章で描きあげた、まことに風変わりな 著作といえよう。 》
時空を超える十八世紀英国の文筆家サミュエル・ジョンソンの箴言、二つ。
《 「結婚生活には苦しみが多いが、独身生活には楽しみがない」 》 31頁
《 「人生はいたるところ、忍ぶべきこと多く楽しむべきこと少ない場所である」 》 31頁
古今東西変わらぬわ(そうか?)。
《 古典名著の普及ということが、文庫本のあり方であったが、現在は採算性その他の問題から、 むしろ新訳は高価本として出現せざるをえないようになってしまった。 》 33頁
《 薄汚れた、実質上絶版の古い文庫本をつくづく眺めていると、私たちはこの一世代の間に多くの 大切なものを置き忘れてきたことを実感せざるをえないのである。 》 33頁
それから三十五年。また一世代が過ぎた。
《 掘り出しは客の勝利であるが、業者にとっては敗北である。もともと安く仕入れたものだから、 経済的なロスはなにほどでもないが、無知やケアレス・ミスを嘲笑されるのは痛い。 》 54頁
《 私にも、人に誇れるようなものではないが、ささやかな掘り出しの経験があるのでよくわかる。 》 58頁
そんな経験はまだない。ま、買うのが古本であって、古書ではないが。ブックオフでバカ安値で買えて 喜ぶことはある。それはただバカ高い定価の本を100円で入手できたこと。
《 初版本の蒐集よりはるかにむずかしいのは、その本の最終版である。 》 79頁
中井英夫『虚無への供物』講談社文庫は、初版が1974年。手元の本は2003年6月13日51刷。2004年4月15日に 新装版(ニ分冊)初版。51刷が最終版だろうなあ。ちなみに、中井英夫氏から「三十刷記念に」と記された 1991年4月11日刊行の文庫本を恵まれている。
《 ちなみに、女性の初版本マニアというのはまったく耳にしない。 》 84頁
《 青春の翻訳文学書として、ほかにもふれたいものがいくらでもあるが、ここでは書名のみをあげておく。 (中略)それに齋藤磯雄の三名著『フランス詩話』『近代フランス詩集』『フランスの詩と歌』。 》 105頁
出版社と出版年は省いた。机上には斎藤磯雄『詩話・近代ふらんす秀詩鈔』立風書房1972年初版。 『フランス詩話』の改訂版。付箋が林立。再読へ誘われるなあ。
ネットの見聞。
《 寺山修司の巻 若者の心を騒がせる 》 読売新聞
http://www.yomiuri.co.jp/life/book/column/honline/20150604-OYT8T50488.html?from=yartcl_blist
某ブログで上記記事を知る。昨日のロラン・バルトの言葉「文学とは、その問いかけが答えとなる作品活動 のことだ」に対応させて引用しようかな、と思った寺山修司の言葉。
《 地球儀を見ながら私は「偉大な思想などにはならなくともいいから、偉大な質問になりたい」と 思っていたのである。 》 『田園に死す』1965年、跋
《 すばらしい生き方ができることは、すばらしい作品を書くよりも大事だ。 》 吉本隆明
素晴らしい作品を制作した某美術家が晩年に吐いた誹謗中傷は酷かった。
《 丸善ジュンク堂、民主主義フェアを再開 外された本は...【前回との比較一覧】 》 THE HUFFINGTON POST
http://www.huffingtonpost.jp/2015/11/13/maruzen-junkudo_n_8552394.html?ncid=tweetlnkjphpmg00000001
《 つーか、「誤解を避けるため、想田や小熊や中野の本をフェアから外す」を許していると、そのうちそれは 「誤解を避けるため、想田や小熊や中野の本は書店に置かない」になり、「想田や小熊や中野の本は出版しない」に エスカレートするよ。しかも禁じられるのは僕らの本だけではなくなると思います。 》 想田和弘
https://twitter.com/KazuhiroSoda
《 拙著『日本人は民主主義を捨てたがっているのか?』、半日前まで「政治入門」の130位台だったのに、 今見たら21位。民主主義フェアから外してくれたジュンク堂さんのおかげでしょうか。実はもしかして、 応援してくれてる?! 》 想田和弘
ネットの拾いもの。
《 一石二鳥
二束三文
三寒四温
四捨五入
五蕗六筍
六順七徳
七転八倒
八索九丘
九舜十堯 》
《 「年金支給は九十歳からと成りました」 》