『限界芸術』

 鶴見俊輔『限界芸術』講談社学術文庫1976年初版を読んだ。元本の『限界芸術論』を東京の書店で見て、 限界と芸術のつながりを奇妙に感じた。それから幾星霜。読んでビックリ。興奮させられる著作だ。 一般には名著と呼ばれるだろうが、私には好著。限界芸術の英語は Marginal Art 。だと知っていれば、 当時読んでいただろう。マージナルすなわち辺境。井上光晴責任編集の雑誌『辺境』を読んでいたから。

《 今日の用語法で、「芸術」とよばれている作品を、「純粋芸術「( Pure Art )とよびかえることとし、 この純粋芸術にくらべると俗悪なもの、非芸術的なもの、ニセモノ芸術と考えられている作品を 「大衆芸術」( Popular Art )と呼ぶこととし、両者よりもさらに広大な領域で芸術と生活との境界線に あたる作品を「限界芸術」( Marginal Art )と呼ぶことにして見よう。 》 13頁「限界芸術の理念」

 何より蒙を啓かれる思いがしたのは、宮沢賢治の項。

《 限界芸術の研究者としての柳田国男、限界芸術の批評家としての柳宗悦とともに、限界芸術の作家として 宮沢賢治は、他の人によっておきかえにくい一つの位置を占める。 》 46頁

 に始まる「限界芸術の創作」には感銘。宮沢賢治への悪い評価が文字通りひっくり返った。安易に引用できない。

 続く黒岩涙香の評伝、これまたグイグイ引き込まれた。2015年の世相、政治状況に照会して、血湧き肉踊る。 明治大正の風雲児だ。2015年の十代末〜二十代半ばの人たちの言論、デモ行動を連想。が、まだまだ、だ。

《 はじめに、勝つ見こみのないかに見えた独占資本の連合軍にたいして、『万朝報』は、完全な勝利をおさめる ことができた。 》 117頁

《 教育勅語その他、国民にたいしてこうであらねばならぬという当為でせまってくるものにたいしては、 そういう当為が現実の国家の要路の人々によっていかに守られているかをあばくスキャンダル報道専門の 赤新聞をもってこたえた。国家をもつものの立場から臣民の権利義務をさだめた欽定憲法にたいしては、 それらの約束がいかに現実の社会で実現されているかを示す探偵小説・推理小説で対した。天皇個人にたいして 崇拝の感情を集中させてゆく過程にたいしては、荒岩や常陸山さらには藤村操や乃木希典など芸能人をふくめた 各界のスターに礼讃の感情を集中させてゆく過程をもって対した。 》 157頁

《 一九ニ○年(大正九年)十月六日午前二時十三分に黒岩涙香は東大病院でなくなった。五十八歳。病名は 肺ガンだった。 》 154頁

 恐るべし、黒岩涙香。どどいつもいい。

《 涙香によれば和歌の三十一文字、俳句の十七字とならんで、どどいつの二十六文字は、日本の三大詩型の 一つである。 》 131頁

《  和歌はみやびよ 俳句は味よ わけて俚謡(りよう)は心いき

   歌の中でも 俚謡の歌は口に謡(うた)えにゃ 歌じゃない

   欲を言うなら情(なさけ)の艶(つや)に 時の匂いを持たせたい

   磯の鮑に望みを問えば 私しゃ真珠を孕みたい  》 132-133頁

《  向鉢巻出刃包丁でハラ(原)をえぐるよ初鰹  》 144頁

 大正元年原敬内相への俚謡(むこうはちまきでばぼうちょうでハラをえぐるよはつがつお)で罰金刑。

 午後、ブックオフ函南店へ行く。文庫を三冊。鮎川哲也『悪魔博士』光文社文庫1988年初版、 島田荘司『犬坊里美の冒険』光文社文庫2009年初版、澁澤龍彦『犬狼都市』福武文庫1986年初版、 計324円。『悪魔博士』は知らなかった。本棚の『犬狼都市』には栞紐がないが、これにはある。 栞紐のために買った。

 ネットの見聞。

《 中井英夫『幻想博物館』一九七二年 平凡社刊。装幀・上野球。一話をトランプの札になぞらえ、 十二話から成る連作短編集。『とらんぷ譚』の第一集。 》 藍川蘭
 https://twitter.com/ran_aikawa

 上記の本を新刊で買っていたが、中井英夫氏は装丁は好みではないと言い、新装再版の建石修志装丁の 1975年初版をくださった。「金の夜と/銀の昼に/越沼正様/中井英夫」と、金、銀の色鉛筆で順に 書き分けられている。

 一人中井英夫展まとめ
 http://togetter.com/li/909079

 スクラップ帳には『アサヒグラフ』1986年7月25日号の切り抜き記事「虚空から花をつかみだす黒鳥館主人/ 中井英夫」。文・斎藤慎爾。

 ネットの拾いもの。

《 壁ドンしたら突き指してしまいました…… 》

《 しかし、看護婦の制服がどんどん色気なくなって行くのは、どうにかならんもんかw 》