「つまらない、おもしろい」

 ネットの拾いもの。

《 ごん、お前だったのか。タンスの中にぶら下がっていたのは。 》

《 元々のお脳の出来がアレなので本を読むことによって自分の知がどれだけ広がるかには疑問が残るが、 それでも「なぜ本を読むのか」と問われれば「そこに本があるから」と答えるし、「なぜ本を積むのか」 と問われれば「そこに本があるから」と答えるだろう。…あれ? 》

《 東北帝国大学の3大研究の虫。
  1.本多光太郎:実験してて自分の結婚式を忘れてた
  2.小川正孝:英国留学中、自分の国が戦争してたのを知らなかった
  3.真島利行:ハンガーを付けたままスーツを着て教壇に上がったり、
    考え事しながら歩いてて犬につまづき足をくじいたり 》

 ネットの見聞。

《 馬鹿げたことをやりましょう。優しく生きましょう。人生にはその他のために使う時間なんてないのですから。 》  キアヌ・リーブスの壮絶な人生と6つの格言
 http://ameblo.jp/wake-up-japan/entry-12110693696.html

《 ティム・インゴルド『ラインズ 線の文化史』めっちゃ面白いのでことあるごとに読むとよいよーと言ってた本。 2刷りが決定したと知った。おおおー。 》
 再読したい本だ。左を向くと、本棚の目の高さにある。ライン=線への関心の深まりに呼応するように、 この本が去年出た。

《 吉祥寺トムズボックスは明日28日で閉店です。
  22年間ありがとうございました。 》

 前世紀はここまで足を運んで木葉井悦子さんの絵『どんづき』や宇野亜喜良のピンバッジなどを購入。

 友だちからブログがつまらないと言われた。言い訳をしたら、だったら備忘録にしなさい、と反論された。 備忘録も日録も同じようなものだと思うけど。それにしても、おもしろいとはどういう記事を指すのだろう。 ギャグ? 冗談? 小噺? ワカラン。
 つまらないとは何だろう。読み始めた大部の本で大江健三郎の小説『狩猟で暮らしたわれらの先祖』に言及されていた。 この《 彼の生涯の傑作の一つと言うべきかもしれない小説 》を収録した『われらの狂気を生き延びる道を教えよ』 新潮社1969年は所持していないが、友だちは多分、この小説をつまらない、と言うだろう。当たり前のことだが、 誰にとってもつまらなくない〜おもしろいという書き物はありえない。今読んでいる著作は、面白い=知的刺激に 満ちているが、友だちはどこがおもしろいの? と言うだろう。関心領域がかなり違うから。
 数年前まで五十年近く日記を書いていた。それこそ人が読んだら仰天、ウッソーッ、と思わず声を発するようなことを。 数年前、その全部を処分した。他人の目を考えない記述は、ある時他人に読まれてしまったら、内容が嘘っぱちか事実か 不明なままに秘密の暴露〜おもしろいとなってしまう。それを恐れて処分。ネットに公開する記事は他人の目を意識するので、 抑制が働く。更新はその日の夜なので、添削と推敲がある程度余裕をもって行える。当初言いたいことを書き散らした拙文を、 ここはまずいから削除、となる。結果、辛辣にも毒にもならない当たり障りのない記述に落ち着く。スキャンダラスな書き込みは まず無いだろう。匿名記事は今もってしていない。ツイッターもしないのは、不用意な記述があらぬ反撥を招く恐れがあるから。
 今までどおりおもしろくもない〜つまらないと思われる文章を発表してゆくだろう。……こう書いて気づいた。ブログの文章は、 誰からもお金を貰っていない、また頼まれてもいないから、つまらぬ文章をだらだらと書けるのだ。つまらないと思うのなら、 読まねばいいのだ。原稿料の出る文章や頼まれて書く文章は、その注文主にとっては少なくともつまらなくない文章だ。 平成に入ってから静岡新聞社講談社ほかいろいろな媒体から、また美術家たちから依頼されて書いた文章は、再掲はあっても、 ボツになったものは一つもない。それが私のささやかな自負である。