『にごりえ』

 松浦寿輝『明治の表象空間』新潮社、「樋口一葉」の項を読んだ。当然だが、一葉の実生活ではなく文筆作品を 当時の言説空間の中で読み解き、一葉の先鋭性を闡明にしている。遠い昔一葉の小説を中途で投げ出して半世紀、 文庫本は本棚に今も立っている。五十年後の再挑戦。『にごりえ』を角川文庫1965年31刷で読んだ。今だから 惹きつけられる、凛としたリズミカルな文章、雪崩れうつ展開、一気に読了(まあ四十頁だから)。余情は深し。 木村荘八の挿画が興趣を添える。

《 いひさしてお力(りき)は溢れ出(いづ)る涙の止め難ければ紅(くれな)ゐの手巾(はんけち)かほに 押当て其端を喰ひしめつゝ物言はぬ事小半時、座には物の音もなく酒の香(か)したひて寄りくる蚊の うなり声のみ高く聞えぬ。
  顔を上げし時は頬に涙の痕はみゆれども淋しげの笑みさへ寄せて、 》

 しびれる描写。江湖の紅涙を誘う……。

《 テクストのテクスチュアは、ただ一本の単色の繊維だけに、すなわちひたすら沈降してゆく「お力」の 声だけに還元される。作者は「混淆」の富を棄て、あえて貧しい単数性の側につく。そこに稀有の持続が 出現する。 》 520頁「狂気──樋口一葉(ニ)」

《 そして「お力」にしても作者一葉にしても、或る意味ではたしかに「啓蒙的主体」としての自己主張を 行なっているのだが、しかしその「主体性」とは、「啓蒙」的理性の内部には鎖されえない獰猛な活力を 孕んでおり、その活力のゆえに我にもあらず理性的秩序の外部にはみ出し、翻って「啓蒙」の問題機制それ自体へ 亀裂を入れてしまうような異形の何かにほかならない。 》 553頁「禽獣──樋口一葉(四)」

 『にごりえ』の文章からは、小田仁二郎『触手』の文体のリズムを連想。トルコの歌姫セゼン・アクスの歌 「Sevgili」を聴く。
 https://www.youtube.com/watch?v=bHS16WvqVzE&NR=1

 五千円札を見つめる。なんか陰影が薄いなあ。五千円札を懐に近くの本屋へ。暮れに注文した小代有希子 『1945 予定された敗戦』人文書院2015年12月30日初版3500円が入荷、受け取る。今年最初の新刊本。

 ネットの見聞。

《 冬の真っ只中、自分の部屋もなく、食べ物もない状況に放り出された人々の声を年末の三日間、直に聞いた。 》  山本太郎
 http://ameblo.jp/yamamototaro1124/entry-12114514405.html

《 軽減税率、高所得世帯恩恵大きく 》 共同通信
 http://this.kiji.is/57434392188143096?s=t

 ネットの拾いもの。

《 そうか、1万字書けるなら連投は減るだろうと思ったが、「1万字を連投する」というリスクもあるのか! 》

《 昨日の昼に電車でおばさんが「スターウォーズの犯人ってだれ?」っていってた。 》