「幸田露伴」「福地桜痴」

 午後一時、「三島梅花藻の里」裏の公園予定地での地鎮祭に市長ら関係者とともに参列。三嶋大社神職祝詞による儀式は一時間近く続いた。風は強かったけど、寒くなくやれやれ。グラウンドワーク三島が工事主体。 予算一千万円強。

 松浦寿輝『明治の表象空間』新潮社、「幸田露伴」の項を読んだ。初期の代表作『五重塔』について。

《 結果としてページ上の虚空を荒れ狂うことになったこの言語的暴風雨を、「前近代」的な職人仕事の細心と 入念の達成と見るか「近代」的なエクリチュールの冒険的試行と見るかは、即座には断定しがたいかなり微妙な 問題と言わねばならぬ。 》 559-560頁「過剰──幸田露伴

《 ただし、ここで重要なのは、露伴における言葉から言葉へ、観念から観念へ、イメージからイメージへの ループ状の回付の運動が徹底的に表層的なもので、いかなる現実の深みにもいかなる無意識の奥処にも 沈降してゆくことがないという点であろう。露伴のテクストがそのもっとも高揚した瞬間にわれわれに伝えて くるものは、ひとことで言うなら、言語の表層的な快楽にほかならない。 》 561頁「過剰──幸田露伴

《 だが、この二人の場合、やや年長の露伴ほどの確固たる歴史意識や批評精神を持ちあわせていたわけではなかった。 エクリチュールに孕まれた無意識的欲動の凶暴なうねりに、単に無防備に身を委ねることしかできなかったのが 透谷と一葉なのであり、むしろそれこそが詩人として、作家としての彼らの文学的営為の真正性の証左であるとも 言える。 》 569頁「怪物──幸田露伴(ニ)」

《 文を行(や)る快、それこそまさに、言語の表層的な快楽と先に呼んだものの至高形態にほかならない。 》  582頁「離脱──幸田露伴(三)」

《 それにしてもしかし、「写生」概念がその源流をなすという「リアリズム」とは、文学においていったい何なのか。 通念に従うなら、感覚される現実世界のものをそのまま言葉で表現することが「リアリズム」ということとなろう。 だが、今そこに在る「このもの」とは、そしてそれをそのまま写すというこの「そのまま」とは、いったい何なのか。 》  595頁「リアリズム──幸田露伴(四)」

《 後年の数多の「私小説」作家が熱中して行ったようにいかに生の悲惨──病苦であれ貧窮であれ、父との葛藤であれ 無分別な女出入りであれ──を描こうと、このものを aussprechen(表現)する行為それ自体に固有に内属する「空無」 と「否定性」に無感覚な「写生文」や「リアリズム小説」のエクリチュールは、その本質において度しがたい楽天性に 支配されてあるほかはない。 》 598頁「リアリズム──幸田露伴(四)」

《 しかし今われわれはむしろ、現実的な影響力を持ちえなかった露伴エクリチュールのマイナー性にこそ、 言説における「近代性」の真の可能性が胚胎されていたと考えたい。露伴の転身は、そのマイナー性に彼の知的膂力の すべてを捧げようとする方法的決断であった。それによって彼は「明治の表象空間」の圏域からその外に出る。 》  599頁「リアリズム──幸田露伴(四)」

《 かくして、日本の近代小説史はきわめて単調な風景で覆い尽くされることになる。実際、極論するなら『破戒』も 『ねじまき鳥クロニクル』も、『それから』も『燃えつきた地図』も、『或る女』も『半島を出よ』も、『旅愁』も 『夢の木坂分岐点』も、若松賤子訳『小公子』も亀山郁夫訳『カラマーゾフの兄弟』も、おおよそのところ似たり 寄ったりの文章で書かれているのだ。 》 601頁「リアリズム──幸田露伴(四)」

 『燃えつきた地図』『半島を出よ』『旅愁』『夢の木坂分岐点』は、いずれ読もうと 思っているが。『ねじまき鳥クロニクル』『破戒』『それから』『或る女』は、再読の時間はないかな。

 続いて「福地桜痴」の項を読んだ。

《 端的に言って、人々が「今・ここ」で何が起きているかに過敏に神経を尖らせ、自分が現在体験していることとの 間の同質性と異質性に、絶えず意識を研ぎ澄ますようになった時代こそ、近代=現代だからである。 》 608頁 「現在──福地桜痴(一)」

《 言葉によってヴィヴィッドに浮かび上ったこの「今・ここ」の観念=情景を、定期刊行物の紙上で読者公衆が 共有する。その情報共有によって構成される共同性は、これまた「国民」主体の形成に資するものである。 》 614頁 「現在──福地桜痴(一)」

 先月22日に読了したベネディクト・アンダーソン『幻想の共同体』だ。

《 福地が言説化しようとした「今・ここ」は、単なる「今・ここ」以外の何ものでもない。そして深さも広がりも 欠いたその単なる「今・ここ」の表層性に、福地の言説の「現代」的意義があり、また同時代人たちにとってのその 魅力もあった。 》 618頁「浅薄──福地桜痴(ニ)」

《 内容の真偽は宙に吊られたまま、共同体内に広く共有され反復され、しかしたちまち古びて霧散し新たなものに 次々に取って代わられてゆく言説断片、それが「情報」である。 》 630頁「情報──福地桜痴(三)」

《 「共同体集団主義」とは、「八紘一宇の大理想」の旗を振られればその方向へ一億火の玉となって突進し、 「一億総懺悔」と言われればあなたもわたしも頷き合って何かを漠然と悔い改めてみせ、かくして誰一人個人としての 責任をとらなくて済む、そんな「我れと他の何の相違があるか」といった心的態勢のことである。 》 635頁「情報 ──福地桜痴(三)」

 自民党安倍政権じゃあないか。

 ネットの見聞。

《 ベスト10発表! 三省堂 辞書を編む人が選ぶ「今年の新語 2015」 》
 http://dictionary.sanseido-publ.co.jp/topic/shingo2015/2015Best10.html?utm_content=bufferb1b22&utm_medium=social&utm_source=twitter.com&utm_campaign=buffer

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 眼福なのか眼の毒か。7500円……。

 ネットの拾いもの。

《 今日は寒いなあと思ってたら冷房つけてた。凍る。 》

《 「1回限りの措置で、バラマキではない!」と。ちょっとこの男さあ、もう本当にどうにかならないの。 》

《 「食べて応援」とは汝の体内での核実験なり。 》

《 信じる者は(足元を)掬われる 》

《 積極的民主主義でいくか。 》