『一九○○年前夜後朝譚』つづき

 昨日の拙ブログへ反応。

《 東武東上線に乗っていて志木駅が近づくと、電車内のディスプレイに

  まもなく しき

  という表示が出て、おれもいよいよかと思ってしまいます。 》

 昨日のブログ、子規が式、指揮、四季、敷、士気、志木、死期……なかなか変換されないので 正岡子規と打って正岡を消去。ふう。

 他所では雪のようだ。ここでは懐直撃の強風。すっと立つ雪富士。私は家こもり。 ネットでは雪にちなんだミステリが話題に。まず思い浮かぶのが泡坂妻夫『雪の絵画教室』、霞流一 『タワーに死す』。『密室レシピ』角川スニーカー文庫2002年初版に収録

《 雪は五センチ程積もっていたが、小ぶりになっていて峠は越えたようだった。(中略)二本の跡が 自転車だとすぐに判った。 》 『雪の絵画教室』

《 「これって、足跡の無い殺人。不可能犯罪。密室殺人ってやつよね」 》 『タワーに死す』

 呆れて笑えるオバカ・ミステリ。こういうの、大好き。

 寒いので寺井尚子のヴァイオリンによる『リベルタンゴ Libertango』を You Tube で視聴。
 https://www.youtube.com/watch?v=KDKPiR8ghR0

 アストル・ピアソラの灼けつく情熱と深い哀愁の沈潜する演奏とはえらく違うところが面白い。
 https://www.youtube.com/watch?v=vaXNdVTGT0k

 大岡信『一九○○年前夜後朝譚』岩波書店1994年初版、後半も再読終了。

《 こういう歌を作り得た人だったから、亡くなって数十年を経たのち、彼の見捨てられていた歌集が 佐々木信綱の目に偶然ふれ、一挙に近代に甦る幸せを持つことになったのでした。 》 175頁 「 VI 詩歌における『子供』の意味」

 大隈言道のこと。没後数十年後はいいなあ。オランダの画家ヨハネス・フェルメール(1632-1675)は 一九世紀になって再発見。フランスの国王付画家ジョルジュ・ド・ラ・トゥール(1593-1652) は二十世紀になって再発見。伊藤若冲(1716-1800)は1960年代には再発見されていた。だが日本人は 買わなかった。仄聞によると、買わない理由は「知らないから」。河鍋暁斎(1831-1889)は、戦前は 教科書にも載るほど知られていたらしいが、戦後急速に忘却された。私は1981年、原宿の太田記念浮世絵 美術館での回顧展を観覧。1993年、大英博物館で展覧会「 Demon of Painting 」が催され、日本での人気に つながった。外国での高い評価を受けての凱旋。百年前と変わらない。以前にも引用したが。

《 欧米のコレクターは、奪いとるようにして浮世絵版画を買い求めている。だが、それにひきかえ、 日本の美術関係者は浮世絵にはいかにも冷淡すぎると思う。日本の博物館は、浮世絵を完全に無視している。 「このような卑俗なものは、当館にはふさわしくありません」しばらくまえ、館長の山高氏はにべもなく、 こう言い放った。いつだったか、日本の芸術家や博物館関係者がわたしたちを訪れたとき、きょうの オークションで写楽の浮世絵がなんと千三百円(二千七百マルク)の高値で売買されましたよ、と 意気込んで話してはみたが、ひとりのこらず狐につままれたような表情を見せ、八人が八人とも写楽という 名前に何の反応も示さなかった。つまり、かれらは、なんと写楽を知らなかったのだ。 》 フリーダ・ フィッシャー『明治日本美術紀行』講談社学術文庫2002年初版、48頁「一八九九(明治三十ニ)年三月三日 東京」

 明治三十一年の日雇い労働者の日当が三十三銭。三日で一円、一年で百二十円余……。

 再読すると初読時には気づかなかったことを発見。良寛の句。171頁。

    つきてみよ一ニ三四五六七八九の十十と納めて又始るを
         (ひふみよいむなやあここのとをとを)

 昔、俳句の加藤郁乎氏から届いた年賀状。

    春立つや一ニ三四五六七

 マレーシアの四行詩「パントン」。234頁。

《   苦瓜は苦いと知ってて
    だれがその花を摘めというのさ。
    あたしが駄目な女と知ってて、
    だれが初めに口説いたのさ。  》
《   湾へ行った、岬へも行った、
    まだ行かないのはメッカだけ。
    抱き合いもした、キスもした、
    まだしないのは結婚だけ。  》

《 (坪内)逍遥が早稲田大学文学部のシンボル的存在となったのは、彼の履歴に即して言えば、明治二十三年 からです。帝国議会発足のこの年、東京専門学校に文学科が新設されました。学校創立から八年目。日本の大学 ないしそれと同格の学校で、純粋に文学を追求しようとする学科が、この時ようやく誕生しました。 》 249頁 「X 本邦初期『ハムレット』公演始末」

《 当時の同僚で親しかった市島謙吉が「早稲田学報」大正十五年十月号に寄稿した「東京専門学校文学科の創設」 に次の一説があり、逍遥が近代化の過程にある日本が直面していた知的問題を、いかに鋭敏に見据えつつ文学科の 創設を主唱したが生き生きと語られています。 》 249頁「X 本邦初期『ハムレット』公演始末」

《 所謂時事とは、当時はわが国文学最初の大過渡期に属して、種々の思想と雑多の文体とが紛糾してゐた。 》 249頁「X 本邦初期『ハムレット』公演始末」

《 例へば、漢文崩しもあれば、翻訳体もあり、言文一致体もあり、従来の文法を全く度外に置き、 語格などには頓着せず、銘々思ひ思ひに文体を創造することを競ふといふ風で、思想の混乱は弥々(いよいよ) 甚しからんとする虞(おそ)れがあつたので、君はまづ文体を統一し之れによつて思想の健全を得んことを 庶幾し、和漢洋三文学の調和といふことを標榜して、さて文科を開くに到つた。これが抑ゝ(そもそも) 文科を早稲田に起すに至つた真の動機であつたよしを此頃君に就いて親しく聞いた。 》 250頁「X 本邦初期 『ハムレット』公演始末」

 松浦寿輝『明治の表象空間』の状況が浮かぶ。

 「 VIII なぜ日本の定型詩は短いのか(一)」「 IV なぜ日本の定型詩は短いのか(ニ)」の二章は 集中の白眉と思う。明日あらためて。

 ネットの見聞。

《 内部告発者をゲスの極みと言う山東昭子がゲスの極み 》 植草一秀
 http://uekusak.cocolog-nifty.com/blog/2016/01/post-3901.html

《 今、こういう大臣や議員が多い。安倍に迷惑をかけてはいけないという奴ら。 自民党議員の多くは国民の為に政治なんかやっていない事は今までも明らかだったが、 新・安倍内閣になってからはっきり自分から言うようになった人が殆んどだ。 》 エリック ・C
 https://twitter.com/x__ok

 ネットの拾いもの。

《 ベランダ蛍しながら電子書籍を読み進め、そのままうっかりiPadをベランダに置いて しばらく室内で仕事し、再度蛍になったときに拾ったiPadがまあ、冷えてること冷えてること。 》