『レトリックの意味論』つづき

 佐藤信夫『レトリックの意味論  意味の弾性』講談社学術文庫1996年初版、昨日の続き。

《 伝統的なレトリックの理論はたいてい転義現象を、一個の弾性的意味の実現ではなく二個の意味の交替 として説明してきたが、それはそれでもっともなことであった。いささかくどくなるが、ロゴス的分析は いつも連続的変様を複数の点に分類するほかないからである。 》 288頁

 このくだりは、絵画における分析、理論を連想させる。文は続いて。

《 その上、レトリックがいつも着目してきたのは、方法的都合上、いつも、いかにも転義転義とした現象 ──測定に便利なように増幅された現象──とでも言えそうな目を惹く例であった。しかし、観測しやすい 「異常」現象は検出のむずかしい「正常」現象のなかにひそむ根本的な過程の、強調された自然発生的な 実験でもある。じっさいには、伝統的レトリックが特別に目をつけようとはしなかったところにも、正常な 転義現象はいつも静かにあらわれていた。 》 288頁

そして世阿弥花伝書』の有名な箇所《 このころの花こそ、初心と申すころなるを、》云々を挙げて言う。

《 そして「花」はテクニカルな一義性を一途にめざすがゆえに弾性的な一義性を実現するにいたった、 それもまたテクニカル・ターム一般のことではないか。 》 289-190頁

 と結ぶ。痛快な啖呵、いや爽快な畳み込みだ。ここから味戸ケイコ、安藤信哉の絵への斬新な視界(解釈)が 生まれる予感。予感だけではどうしようもないが、小生の力不足。それはそれとして、美は細部に宿るという ことをここにも感じる。さり気なくて見過ごしているところに金鉱脈が潜んでいる。

 以上は「9 意味の《弾性》…自己比喩」から。続く最終章「10 意味の《遊動性》…意味の奪い合い」は、 「9」とともにぐんと天駆ける展開に目を奪われる。「8」までの、あちこち寄り道しながらのなんとも 細い道をとぼとぼと歩くのにほとほと疲れ、長い休憩をしたけれど、この二章で一気に晴れた。「9」は更に 引用に窮する、すなわち一節を切り離せは面白さ半減、内容が通じない。

《 話し手が発言の途中で戸惑い、《転換》によって文の生成のさまざまの進路を模索する、という 心理過程を、《統語的選抜》の過程としてとらえることができる。それは、深層の「真の文」構造がまだ さだまらぬ状態で、それゆえ現実をどう組織化するかという方針の探索の過程であろう。私たちの関心は、 その心理過程を(かならずしもそれをブラック・ボックスと見なすということではないにしても) 記述しようとこころみることではなく、その戸惑い現象を、ただ、現実を組織化する多様な可能性、 すなわち現実の組織化の《随意性》の証拠と見なすことにしたい。 》 340頁

 この一節から絵画の印象派の出現の必然を思った。そして巻頭の「はしがき」へ戻る。

《 現実のことばの意味は、人々の思っている以上に弾性的であり、それは《言語》の統語(統辞)構造を 越えて遊動的である…と、私は思う。《言語》のひそかな要請の実態をあきらかにすること、そして 現実の言語の本来的なレトリック性(意味の弾性)を具体的に明示化すること、それが本書での私のささやかな こころみであった。 》

 視界が思いがけなく広がる。というより自らの視点が膠着していることに気づく。既知の言語論の根本が 揺らぐ。理論の根底がずれてくる。著者の思考は絵画へ援用できると予感。予感だが。三浦雅士の解説から。

《 佐藤信夫はここで物を作り出す人間の力の根源に触れていると、私は思う。そして、もしも《意味の弾性》 こそがその創造力の根源であるとすれば、《意味の弾性》の学であり術である《レトリック》は、人間の本質に かかわっていると言わねばならない。 》

《 意味の変容は美しさであると同時に思考の過程なのだ。そしてその思考の過程は、ひとつの思想の具現 なのである。レトリックこそが思想なのだと、言いたい気がしてくる。 》

 再読が要請される。読むことで気づかなかった視野が開けてくる。

 昼前、若い女子行員が貯金のことで来訪。去年受付にいた可愛い子。外交に回すとは小癪な。世間話で 水木しげるが話題に。親が好きで彼女も好きだけど、周囲には話のできるひとがいない、と。ではでは、 オジサンが貸本漫画の復刻本を貸してあげよう。何冊かお貸しする。世の中、何が役立つかわからん。

 ブックオフ長泉店で三冊。岡嶋二人『眠れぬ夜の報復』双葉文庫1992年初版、島尾ミホ『海辺の生と死』中公 文庫2013年改版初版帯付、三上延ビブリア古書堂の事件手帖6』メディアワークス文庫2014年初版、計324円。

 ネット注文した古本、松井邦雄『ル・アーヴルの波止場で』龜鳴屋2014年が届く。以前『ヨーロッパの港町の どこかで』講談社1994年初版を読んで、池内紀の編集によるこの精選集を読みたくなった。

 ネットで山尾悠子がちょっと話題に。彼女の処女出版『夢の棲む街』ハヤカワ文庫1978年は、誤植が多いと 聞いて古本屋へ。『夢の棲む街│遠近法』三一書房1982年は手元に。「後記」から。

《 私の場合、絵画から小説のイメージを得るケースは割合多いのですが──たとえばモンス・デシデリオ、 ピラネージ、デルヴォー、キリコ等々でも、 》

 好みが重なる。本棚には他に『オットーと魔術師』集英社コバルト文庫1980年初版、『仮面物語』徳間書店 1980年初版と『山尾悠子作品集成』国書刊行会2000年初版サイン入り。その隣にはヴァーノン・リー『教皇 ヒュアキントス』国書刊行会2015年初版、齋藤磯雄『ピモダン館』小澤書店1984年初版、ベックフォード 『ヴァテック』牧神社1974年初版。所有しているだけで満足な本たち。

 ネットの見聞。

《 この「エアコン配線」がすごい! 》
 http://portal.nifty.com/kiji/160205195670_1.htm

《 ♪まさかりかつい( )金太郎ーの、( )の部分は「だ」じゃなくて「で」なのか。 》

 ネットの拾いもの。

《 中学時代、大量のチョコを持ち帰るためと称して”大きな紙袋”持参でバレンタインデーに登校してきた Kくんの体を張ったギャグが忘れられない。空の紙袋を折りたたみ、黙って下校していったKくん、 今でも君は僕のヒーローだよ! 》

《 老いるショック 》