『人間科学の哲学』その四

 山口裕之『人間科学の哲学』勁草書房2005年初版、「第5章 意味の共有」を読んだ。まず意識について 論じられている。

《 意識を研究しようとするときにまずなすべきことは、その本質的定義を探求することではなく、典型例について 考えることであろう。すなわち、我々はどのようにして他の人間を発見し、彼らとどのように付き合うことで、 彼らもまた自分と同様の意識を持った人間であることを確信するのかという問題について考えることである。 》  172頁

《 我々は自らの知覚的世界をさまざまに意味づけ秩序づけつつ生きているが、そうした「私」の世界理解の中で、 他者と共有されていることがきちんと確認されたものは実のところごく一部分なのである。 》 201頁

《 人間的な知性を可能にするのは言語であるとはよく言われるが、そもそも言語を可能にするのは、人間的な 感性なのである。 》 208頁

 本棚下に味戸ケイコさんの絵(吉原幸子『クモンの空』表紙原画、1977年)と上條陽子さんのデッサン 『踊る』1997年が並んでいる。みっちり描かれた味戸さんの絵。簡潔な線で描かれた上條さんの絵。まったく 対照的な作品だが、それゆえにか、一点ずつの鑑賞では気づかなかった特色が、みごとに際立っている。 作品は、並べて見れば良し悪しがわかる、とはよく言っていたが、作風がまるで違う二人の絵を並べようとは 思わなかった。モノは並べて見るものだ。修行が足らんなあ。どちらも良い絵。品がある。これ、とても大事。
 品を漢和辞典で引くと、神品、名品、妙品、佳品、珍品、逸品、絶品、作品等々、美術で使われる言葉。 頭に品のつく言葉では、品位、品格、品質など。二つの絵は、品位のある作品。逸品〜絶品さらには名品まで 駆け上がるかもしれないが、それは後世の評価に委ねる。
 作風の違いはどこからくるのか。上條陽子さんは人間の「生きているという動き」を直観で描いている。 味戸ケイコさんは外部からは見透せない「生の内景」を直感で描いている。地に足をつけて、上條さんは 地上の人を直視し、味戸さんは人の内なる虚空を凝視している。動と静だ。まさに対照的。どちらの絵も見るたびに さまざまな想念を喚起させる。優れた絵とはそいうものだろう。

 静嘉堂文庫の国宝曜変茶碗を見て、北一明の耀変茶碗を並べて見たい、と思った。どんなだろう。

 本を買いたくてブックオフ長泉店へ自転車で行く。……これ、という本がない。結局、酒井順子『本が多すぎる』 文春文庫2014年初版、三谷一馬『江戸庶民風俗図会』中公文庫2007年初版、計216円。

 合田佐和子さんが亡くなった。サインしてもらった作品集『パンドラ』パルコ出版1983年初版を開く。

 ネットの見聞。

《 少なくとも私は、これからの日本を生きる子どもたちに、そんな虚言など植えつけてほしくない。 率直に言って、嘘にほからないからだ。五輪招致のための方便とされた福島原発事故は制御下にあるという 「悪・夢」は、その最たるものだろう。 》 椹木野衣「スポーツをめぐる夢と悪夢」
 http://chiten-kaat.net/special_issue_12.html

《 映画『オデッセイ』好評ですがここで原作をもとにした怪しげなマンガもご紹介しましょう。 》 とり・みき
 https://twitter.com/videobird/status/701636955646201856

《 Twitterに投稿された「凄い風景」が本当に凄かった  》
 http://matome.naver.jp/odai/2145603117065344301?utm_content=buffer39c5a&utm_medium=social&utm_source=twitter.com&utm_campaign=buffer&page=1

 ネットの拾いもの。

《 呪文「原稿料を超える額の資料を買わない」「原稿料を超える額の資料を買わない」 「原稿料を超える額の資料を買わない」 》

《 「先生、古典つまんないです!」
  「つまんないだろ?それはな、お前に読ませて問題のない部分は大抵つまんないからだ。 本当に面白い部分はどれも公序良俗に反しているからとても読ませられないのが古典なんだ。 つまんないの読んで文法覚えて面白いの読めよ」 》

《 Amazonより情報少ない版元のウェブサイトってどうなのよ。って思うときはたまにある。 》