『日本美術応援団』つづき

 赤瀬川原平山下裕二『日本美術応援団』ちくま文庫、後半。

《 山下  日本美術史は、「飾り」という概念に対して妙に屈折しちゃってる。「装飾的」っていうことを けなしたり、持ち上げたり。もっと素直に面白がればいいんです。
  赤瀬川 「美術」は、永久に残るに値するものを作らないといけない、ということにされちゃったんでしょうね。  》 123頁

 この本で最も印象的な言葉が「乱暴力」。

《 赤瀬川 確かにね、「乱暴力」がちょっとないんですよね。
  山下  「乱暴力」ね。はいはい。 》 102頁

《 赤瀬川 その頃は等伯の「乱暴力」にいかれちゃってたものだから、ちょっとという感があった。 》 138頁

《 山下  「乱暴力」というのは、多少の乱れを気にせず一本の線にしちゃう、みたいなところですよね。 》  139頁

《 山下  「乱暴力」というのは、どうしようもなく抑えても出てくる力の表れ。
  赤瀬川 出てきて壊しちゃう。壊さなけりゃ線が引けないっていうかね。 》 150頁

《 山下  わざと「乱暴力」を表面に出して自分のテーマとしてやってるんだけど、むしろ逆にそこに出てくる 「丁寧力」というのかな、「繊細力」みたいなところに注目したいですね。 》 150頁

 「乱暴力」と「丁寧力」「繊細力」。じつに魅力的だ。「老人力」は使いたくないが。

《 赤瀬川 蘆雪の絵には、ザバッとした大胆な筆遣いのものもありますが、等伯なんかの「乱暴力」とは、ちょっと 違いますよね。
《 山下  この人の場合、計算された「乱暴力」なんですね。テクニシャンだから、一見無謀とも思える 激しい筆の線でも、どうなるか分かって引いている。だから赤瀬川さんが好きな「乱暴力」とは違うんですよ。
  赤瀬川 そう、等伯はもっと「乱暴力」ありますよね。
  山下  ええ、ムチャクチャ力というかね、雪舟だってそうです。 》 183頁

 「乱暴力」は西洋近代画の多くに見られるが、日本の洋画では意外と少ない気がする。白髪一雄の足で描いた絵など、 一見そのように見えるが、「乱暴力」ではないと思う。北一明の大作の書作品は、「乱暴力」と言えるかも。

《 山下  結局、美術っていうのは後の人間がつくっていくものなんですよ。本当は今の美術もそうであって欲しい。 今のいわゆる現代美術っていうのは逆になっていますよね。
  赤瀬川 そうですね。みんなあらかじめの評価を考えて、それに向けて何かしている感じ。頭で計算した美術というか、 もう自分で解説ができちゃっている。
  山下  美術家になることが目的になってる。はなから美術館のホワイトキューブの中で何をするかが目的になって 作ってる。 》 245頁

 以上、同感することを抜き書き。

 昼前、源兵衛川下流部、一本松上流のヒメツルソバを抜く。石垣に繁茂した雑草も抜く。雑草は土手で乾燥。

 午後、清瀬市から視察来た市会議員六人を源兵衛川へ案内。喜ばれる。やれやれ。

 ネットの見聞。

《 トランプさんになってみました。 トランプさん1946年生まれのベビーブーマー世代。 ボクよりひとつ上です。 》 南伸坊
 http://www.tis-home.com/minami-shinbo/works/47

《 猫シャツの件! Paul & Joe が刺繍作家の方の著作権を認めた! 和解内容を自社サイトに載せてる! 》
 http://www.paulandjoe.com/en/actualites-105.html

《 「ムーミン」シリーズを書いたトーベ・ヤンソン、ずっと男性だと思っていた。 》 道尾秀介
 https://twitter.com/michioshusuke/status/702806261427884032

 ネットの拾いもの。

《 「断食相撲」
  一週間、断食した後、相撲を取って、
  また、もう一週間、断食してから、相撲を取り、
  また、もう一週間の断食の後、相撲・・・
  というふうに、
  どんどん痩せてガリガリになりながら続けて、
  こんな戦いをすることの空しさを知り、
  先に悟りを開いた方が勝ち 》

《 SPEEDといっても覚醒剤じゃない、覚醒剤じゃないと思う。 》