「故人」

 昼前、源兵衛川下流、一本松の土手に干した雑草を土のう袋に詰める。三袋ちょうど。自転車の荷台に二袋、 前のカゴに一袋積んで自宅へ。三十分足らずで終了。軽く汗。合計五袋。
 なぜそんなことをするの?と訊かれそう。川べりの石垣は行政の管轄。地域の人は手を出さない。行政も、 そんな小さな事業(石垣の草取り)に予算を回せない。というかそんな思考回路は持ちあわせていない。ならば、 川辺に住まない者が勝手に草取りをすればいい。技術もなにも要らない。手間をかけるだけでいい。風景が見違える。 風景=植生が良くなれば源兵衛川の印象は良くなる。三島の価値を上げるには些細な手間暇が必要と考えている。

 某ツイートに刺激され検索していて、イスラーム学者井筒俊彦が小田仁二郎を評価しているブログに漂着。

《 小田仁二郎の『觸手』を、言語学の立場から読んでも面白い小説で、文学史に残していいシュールな小説だとほめてくれる。  》
 http://oshosina.blog.so-net.ne.jp/2014-08-26

 コメント欄には。

《 高橋和己の「戦後文学私論」に《戦後文学は、その端緒には目くるめくような幅をもった。作家の文壇的所属を無視して、 その作品を作品のもつ意味からいえば、その幅の両極は、埴谷雄高の『死霊』と小田仁二郎の『触手』に代表された。》 とありました。 》

 私は小田仁二郎『觸手』をラップの先駆けだと考えている。
 http://d.hatena.ne.jp/k-bijutukan/20131214

 ネットの見聞。

《 葛原妙子って、普通の人々にとってはほとんど無名の存在かと思うのですが。 おそらく日本が生んだ数少ない文学的天才だと思っています。残念ながら現代では無名ですがマジ凄いです。 駄作がほとんど無い。異常です。現代短歌ではおそらく最強かと。 》 サッカーボーイ
 https://twitter.com/heygyzep/status/703425511238692864

 二十世紀後半(戦後)の短歌では、葛原妙子と塚本邦雄が双璧だと思う。どちらも短歌を好きな人しか 知らないだろう。なにごともマスメディアやネットで大いに喧伝しないと、人口に膾炙しない。逆に言えば、 凄い作品が人知れずそこかしこにぽんとある可能性は大。誰でもお宝を発見できる。

《 地下倉庫には来月捨てられる運命にあるたくさんの100号の油絵。残念ながらひきとれない。 膨大なえエネルギーの集積に行き場を見つけられない。 》 往来座地下
 http://ouraiza.exblog.jp/24994468/

 膨大な画家のうち何人の絵に引き取り手が現れるだろう。K美術館のウェブサイトの「収蔵庫の作品より」には 故内田公雄の絵が掲載されているが、昨年未亡人とご子息が引き取っていった。記録として残している。
 http://web.thn.jp/kbi/utida1.htm

 死者は語らない。故人となった何人もの表現者(画家、文筆家)とのかかわりの親密度、信頼度は、故人が遺した 日記、手紙などの一次資料からの判断による、が私の姿勢。思い出話をして無意識に誇張してしまうことを恐れる。 それにしても棺を覆って事定まる、とはよく言ったものだ。今じゃ棺を覆うとオレが評価した、オレが応援した、 オレは信頼されていた、としゃしゃり出る輩が出現。故金子國義についての某英文学者もそんな輩だと、某小説家から ネットで批難されている。真相は不明。一昨日の山下裕二の発言を思う。論点は違うが。

《 結局、美術っていうのは後の人間がつくっていくものなんですよ。本当は今の美術もそうであって欲しい。 》

《 Donny Hathaway - The Ghetto Live  》
 https://www.youtube.com/watch?v=glkNiLc1nSQ

 クールだねえ。1970年のライヴか。ふとローレンス・ブロックのミステリ『死者の長い列』『死者との誓い』が浮かぶ。

 ネットの拾いもの。

《 「月末〆切」の文字を前に、心の底から叫ぶ。ありがとう、閏年! 》

《 気が休まるのは、地獄だけ。 》

《 安心したまえ、俺も分からん 》