「耐用年数」

 毎日新聞昨夕刊に「旧出雲大社社務所 取り壊しか」の記事。菊竹清訓(きくたけ・きよのり)の設計。1963年完成。 沼津市芹沢光治良記念館も菊竹清訓の設計。こちらも老朽化に伴い、そう長くはない将来閉館予定。解体までは 考えていないようだが。木造の正倉院に対して、現代の建築物の耐用年数のあまりの短さを思う。人生は短し、芸術は 長し、というが。
 http://mainichi.jp/articles/20160304/k00/00e/040/208000c
 http://www.city.numazu.shizuoka.jp/kurashi/shisetsu/serizawa/

 芸術とは何だろう。よくわからないので、芸術という言葉は使わず美術を頻用してきたが。芸術とは特権的なモノ、 コトを指す言葉か。富士山に例えれば、九合目十合目に位置するのが芸術。『俳句──四合目からの出発』なんて本が あるくらいだから。技量が四合目あたりになると、頂上の凄さが理解できるということらしい。
 美術品を作らない鑑賞者の私の鑑賞力は何合目だろう。四合目には達していたい。富士山五合目まで誰でも車で行ける今、 車を本に置き替えれば五合目まではなんとか行けそうだ。
 んな無駄言を書いたのは、昨日の小泉喜美子『殺人はお好き?』を傑作と呼んでいいのか、秀作止まりかと迷っているから。 日本では(海外は知らない)お笑いモノは押しなべて低い地位にある。深刻ぶるモノには高い地位を与える傾向がある。 深刻ぶる純文学なるものは高い地位にある。低い地位にあるものは、作品が高い評価を得ても地位は低いまま。ただ、 社会的地位も時代の変遷につれて移り変わる。四十年前、料理人の社会的地位は低かった。理由の一つに彼らの学歴の低さが あった。学歴が社会的地位の第一基準だった。今じゃ……。社会的地位と作品の評価との乖離について詳述する余裕はないが、 かなり深い問題を孕んでいる。昨日の引用を再引用。

《 なまじの深刻調で人を泣かせたり怒らせたりするより人を笑わせるのがいかにむずかしいかをしみじみ思い知った。 》

 『殺人はお好き?』徳間文庫の帯には《 注目の女流が描くユーモア活劇篇 》とある。いただけないなあ。「ユーモア」 という惹句で逆に見放される。それが日本の現実だと悲観的に思う。しかし、惹句にだまされないで読めば、1962-1963年の 発表から数えて五十年余という年数を越えて面白さが生き生きと伝わる。現代建築の耐用年数とは大違いだ。本の強みだろう。

 昼まで相模原市からの源兵衛川などの視察案内。啓蟄らしいポカポカ陽気に汗ばむ。
 午後、先だって源兵衛川の土手に干した雑草を土のう袋二袋に詰める。上流から一本松までの作業はほぼ終了。

 そういえば、3Kってもう死に体かも。4K、8Kが出てきたから。いや、4Kって、キレイ、キラメク、キワドイ、 キワマルのことかも。こりゃいくらでも出てくるな。

 ネットの見聞。

《 結局保守って多様性に耐えられないひとたちなのだな、とSNSで交わされる言葉を読んでいて思う。 知識があっても教養豊かでも、その一点だけは変えられないひとたち。僕も生活面においては保守主義者なので わからないでもないけど、知性の面で尊敬しているひとが頑迷さを露わにするのを見るのは辛い。 》 太田忠司
 https://twitter.com/tadashi_ohta/status/705950527528443904

《 『日本蒸奇博覧会 in 名古屋 vol,1』 》
 http://www.japan-steampunk.com/

《 Wintergatan - Marble Machine (music instrument using 2000 marbles) 2000個のビー玉を使った楽器演奏 》
 https://www.youtube.com/watch?v=IvUU8joBb1Q&utm_content=buffer4afe3&utm_medium=social&utm_source=twitter.com&utm_campaign=buffer

 ネットの拾いもの。

《 今年も若く閉塞的ながら魅力あるツイートをしていた高校生が大学生になり環境の変化によって関心の対象も変化し 不燃ごみのようなツイートを垂れ流す公害アカウントになる過程を観察することになるのか。 》

《 あと10年位したらフォークソング議連、もう10年したらニューミュー ジック議連、ジャパメタ議連、 ビジュアル系議連が出てくるのかな? 》