「欠陥老人」

 雨の午後、久しぶりに眠気に襲われ小一時間昼寝。惰眠を妨げる電話。 にもめげず睡眠続行。うるさい雨音で目覚め。春の雨じゃあないわ、この降り。食料の買い出しは中止。 明日の朝食は食パンが無いのでご飯。おかずは冷蔵庫にある。引きこもりの一日。本棚に鎮座したまま幾星霜の 本を抜く。天(あたま)にはシミ。引用されている西脇順三郎の詩「罌子粟」(けしのはな)より。

《  詩には多少の肉感的快美と卑猥尾籠
   ところがあるべきだ
   そして髭のない少年のためではなく
   放蕩の故老のこわばつた筋肉に
   好色の刺戟を与へるためだ
   我が詩の中で数万の接吻を読み
   我を女々しい奴と思ふなよ  》

 私を鼓舞するためにあるような。

 昨日の嵐山光三郎『不良定年』ちくま文庫だが、不良=不良品だと思ったら、善良の反対語の不良だった。 私は不良老人ならぬ欠陥老人だ。どこが欠陥かと問われるまでもなく、軽率な言動を戒められること多々あり、 指摘に対しては、この歳になれば怖いものはない(一人以外に)、と開き直る。頭から足元まで見ればわかる。 身体は欠陥だらけだ。

 人生を振り返ってみれば、主流中軸には入らず迎合せず、傍流辺境に身を置いてきた。悔しい思いは数限りない。 だからこそ世の中は有為転変、どこで何が起こるか、ひっくり返るかわからないが、処世術だったような。すなわち、 今傍流辺境にいるものが将来は主流中軸になるかもしれぬ、という予感あるいは夢を抱いて生きてきた。でなけりゃ 生きていて面白くない。寄らば大樹の陰なんてやなこった。孤立を恐れず。だが来るものは拒まず、去るものは追わず。 で、ずいぶん去っていった(人はそれを見捨てられたと言う)。いいじゃないか。聖人君子ではない、今や欠陥老人だい。 自慢してどうなることでもないが。まあ、苦笑されるか後ろ指を指されるくらいだ。となると不良老人か。いやはや。

 んなことをつらつら書いたのは、現代アートのウェブサイト『現代アートのプレイヤーたち| 小崎哲哉』を読んで。
 http://www.newsweekjapan.jp/ozaki/

 現代アートビジネス界とその裏事情が赤裸々に描かれている。成金たちのせめぎ合い。ここで紹介されている美術品の 何点が将来も芸術遺産として遺るだろうか。これ、欲しい!と所有欲に駆られる作品が見当たらない。美意識がかけ離れた 世界だ。こんなモノをいいと信じている大金持ちは救われない? いや、いいと信じているのだろうか。見栄と名誉欲で うまく踊らされ買っているのでは、と欠陥老人は哀れに思う。あげるよ、と言われても欲しくはない。大体置き場所に困る。 欠陥老人は手に余るものは要らぬ。いや、手に余るのが欠陥老人か。

 ネットの見聞。

《 【シャープの本】

  1995 シャープ 笑いのとまらぬ経営術

  2004 シャープの謎―勝ち続ける日本力

  2007 シャープ 独創の秘密 なぜ、“オンリーワン商品”を出し続けられるのか

  2008 オンリーワンは創意である

  2016 シャープ崩壊−名門企業を壊したのは誰か 》
 https://twitter.com/value_investors/status/706745460556320769