『蕩児の家系』

 昨夜、床に置いて眺めていた鉄の歯車を、ステレオ・アンプの上に置いてある重し、ブチルゴムとテフロンシートで 梱包した鉛板の上に重ねてアンプを駆動。寺井尚子のCDをかけてビックリ。解像度が上がる。音像がより明確に。 ウソみたい。で、リー・モーガンのCD『 THE SIDEWINDER 』をかけてみた。おお、モーガンのトランペットのパッと 破裂する器楽音がリアルに。これはこれは。歯車の重さがちょうどよかったのだろう。いやあ、わからんものだ。 だからオーディオは面白い。覚醒(何と単細胞な)。

 朝っぱらから音楽。音像が断然いい。寺井尚子の弾く弦がしなやかに揺らぐ。目が覚める、いや耳が冴える。 耳をそばだてる……昼は蕎麦にするかな。

 音楽を聴き疲れたのか、昼寝を一時間ほど。もっといろんな音盤を聴き直したくなる。ワクワク。

 大岡信『蕩児の家系  日本現代詩の歩み』思潮社1969年初版前半、「大正詩序説」「昭和詩の問題」を読んだ。 明晰にして明解。他の著作同様、周縁部、最深部まで明瞭な解像度。視界がすーっと開かれる。闊達な文章に乗せられ 軽快に読み進む。故にあやうく要点を見逃すおそれがある。名著の予感。

《 ここで「共通な創造的源泉とみなしうる古典」というのは、いうまでもなく、時代の制約を超えて後代に 感情的共鳴をよび起し、そのこと自体によって、みずから新たな時代的価値を獲得し、言語表現のうちに 包みこまれた精神的価値の持続性を、常に新たによみがえるその蘇生力そのものよって証言するていの古典である。  》 9頁

 言語表現を絵画表現に替えれば、そっくり絵画作品に当てはまる。

《 早い話が、ぼくは詩人たち自身のあいだで、あれこれの詩集が、そんな風な手ごたえをもつものとして 読まれているという例を知らない。 》 10頁

 何と痛烈な。日本の近代美術はどうだろう。

《 日本の詩人は、言葉の朽ちやすさ、腐りやすさについて、とりわけ敏感であらざるを得ない宿命を負っている とさえいえるかもしれぬ。 》 10頁

 それから半世紀近く。今も同じだ。金子光晴西脇順三郎について

《 しかし、金子、西脇氏の場合、いったんは西欧の詩にどっぷり身をひたし、ついでその影響を個性的に 突き抜けることによって、逆に、単なる情緒の美などでない、生きた人間の精神のドラマを、その全容において 示すような詩作品を生みだす詩精神を養うことができたのである。 》 44頁

 外遊した多くの洋画家たちはどうだろう。藤田嗣治……。

《 だから、三好達治が純粋に主観の流露としての抒情を体現しているのに対して、伊東静雄は、主観の逆流としての 抒情を体現しているといえるだろう。 》 112頁

《 そこでは、言葉は意識的に相殺し合い、時空の制約という現実の枠組みの外側へ、詩人を導き出すのだ。 》  114頁

 伊東静雄の詩への論及に味戸ケイコさんの1970年代の絵画の本質に通じるものを感じる。言葉を少し替えて。
 そこでは、絵画は無意識的に時空の制約という現実の枠組みの外側へ、画家を、観客を導き出すのだ。
 他の画家たちと決定的に違うのは、「現実の枠組みの外側へ」という仕組みが、味戸さんには生来的に備わっている。 天空、宇宙など神話的SF的世界を描く画家はたくさんいるが、味戸さんの絵は、彼らとは一線を画している。 埴谷雄高に通底するような、彼女のこの特質について未だにうまく言い表せない。

 ネットの見聞。

《 71年前の今日、非戦闘員を中心に10万人を殺戮した東京大空襲。その首謀者は米軍のルメイ少将という男。 戦後「航空自衛隊の育成に貢献した」という理由で1964年、日本政府はルメイに勲一等旭日大綬章を授与。 贈ったのは時の防衛庁長官小泉純也、純一郎の父。 》 
 https://twitter.com/G_D_Greenberg/status/707598833618800640

《 「女性自身」が驚愕の原発汚染調査報告! 福島の小中学60校の8割で「放射線管理区域」を上回るセシウム 》
 http://lite-ra.com/2016/03/post-2046.html

《 「被災地の皆さんの熱い思いを私たちはこれからも全力で応援していく」と決意を示した。 》 「安倍首相、 震災5年で10日会見=東北復興メッセージも公開」
 http://www.jiji.com/jc/zc?k=201603/2016030900714&g=soc

 支援ではなく応援かい。

《 DYMの特徴は、ケタ違いに優秀な人財が集っている点です。 》 DYM
 https://job.rikunabi.com/2016/company/top/r276310057/

 タイで話題いや顰蹙を買った会社。

《 たぶん、二十年ぐらいすると、ここまで大学をぼろぼろにした結果が出て、おぞましいことになっていると思うが、 私はそのころにはこの世にいないか、いても使い物にならなくなっているはずなので、見届けられない。 口惜しいことである。 》 赤城毅
 https://twitter.com/akagitsuyoshi/status/707521362303131649

 ネットの拾いもの。

《 未来の世界史教科書に「1930年代のドイツ、2010年代の日本」と並べて書かれる事態は避けたい。 》