『無名時代の私』

 文藝春秋・編『無名時代の私』文春文庫1995年3刷をパラパラと読んだ。

《 多彩な顔ぶれの有名人69人が、苦しく懐しい自らの助走時代を綴って読む者に希望と元気を与えるエッセイ集。  》

《 文章というのは外に向けて書くもので、外が晴れなければ内側も暗くなる。 》 赤瀬川原平「高速道路を ぶっ飛ばしていた」84頁

 昨日の自分みたい。

《 子供のころから活字はめちゃ読みしてきたが、知らない世界に連れていってくれるから楽しいので、 自分で書ける程度のものなら、こうとり憑かれはしない、と思っていた。 》 皆川博子「ドジから始まった」 196頁

 新潮文庫だったか、シャーロック・ホームズ物は中学校で読んでしまった。二十歳にして詩も小説も断念。 その代わりに物書きへファンレターを投函した。これがよかった。俳句の加藤郁乎氏から誘われ、氏の勤め先の 日本テレビの受付で「照明の加藤部長をお願いします」と氏から言われた科白を言った。局でお茶の後、タクシーで 新宿のスナック薔薇土へ。そこで中井英夫氏を紹介された。「あの『虚無への供物』の」とまず口にしたことは 覚えている。しばらくして加藤氏と中井氏が口論、出て行った加藤氏を探してスナック・ナジャやら訪問したが 見つからず、薔薇土で遅くまで飲んだ。しかし、記憶違いかもしれない。不安定な怒涛の大学時代だった。
 「戦後70年 中井英夫 西荻窪の青春展」(東京古書会館)(4月18日〜27日)
 http://www.tsogen.co.jp/news/2016/03/16032416.html

《 白髪も増え、眼もますます衰えるばかりだが、もう一度、若い時代に戻してやろうと言われても、私は 絶対断りたい。たしかに今よりウエストも細く、皺もなかったが、そのかわり、あのころは、ひどく不安定だった。 》  永井路子「徒労をかさねて」253頁

 最近気づいたことだけど、高校時代だったか、母が心配して神経科医院へ連れて行ったことが数回あった。鬱病状態 だったようだ。四十歳を過ぎて不安定から脱け出したような。五十歳を過ぎてやっと安定か。今がイチバン。

《 この9月号に『秘楽』連載第二回の三島由紀夫氏の推薦による、破格の扱ひであることは後日聞き及んだ。 勿論、歌壇からは一顧も報いられず、この歌集が浮び上るのは、それから四半世紀近い後のことである。 》  塚本邦雄「かへりこぬ」300頁

 先駆者、開拓者はごく少数の理解者に支えられるているんだな。私が評価している美術家たち……生きろ。

 ネットの見聞。

《 高いところから見る、低いところからも見る、探して、そしてつくって広めていく。 》 森下佳子
 http://www.l.u-tokyo.ac.jp/interview/graduates/vol_01/

《 論創ミステリ叢書の新刊『飛鳥高探偵小説2』ゲット。 》

 いつも混乱する推理小説作家三人。飛鳥高天城一高城高。一般には無名だろう。あすか・たかし、あまぎ・はじめ、 こうじょう・こう。

《 研究者の大量希少蔵書、むかしは大学図書館への一括寄贈という手があったが、いまこれをうける図書館は ほとんどないはず。すててるくらいだし。このまま二回も世代交代すれば、電子化されることのない国内の希少文献は ほぼ散逸する。衰退する国家の必然か。 》 esperantumanto
 https://twitter.com/esperantumanto/status/713271237368098816

《 死んだ学者の研究書を集める図書館とそれを管理する財団を作って下さい。もう、大学にそれらを所蔵する力は ありません。所蔵が無理なら、せめて電子化するプロジェクトと予算を。日本に1冊しかない本も、同分野の研究者が 受け継がず、研究者の遺族が研究者でなければ、捨てるしかありません。 》 八十田博人
 https://twitter.com/yasodah/status/713281853671608320

《 題して、Dead Scholars' Library. 》

 ネットの拾いもの。

《 不倫を告白したAI 》

《 起きる力 》