『水府 みえないまち』

 五月晴れ。朝の街は静か。昼前から人出。一人ウェブを漂う。某ウェブサイトに漂着。

《 アートが社会にもたらしうる力が当たり前のように受け入れられ、ますます注目を集める今、 》 藪前 知子
 http://www.webchikuma.jp/articles/-/84

 キュレーターはこういう認識か。まあ、アートだからなあ。

 大岡信の詩集を気分のままに読む。きょうは『水府 みえないまち』思潮社1981年初版を読んだ。

《  《時の虚(うろ)に いきづき われはおどろきぬ
   「我を救へ」と おらぶわが声》
   改作。修正。よしなきわざくれ。さるをなほ
   われは執(しふ)して、つひに歌をばぶちこはしぬ。  》 「調布 II 」

 古文形式で書かれた諧謔のある詩。「ぶちこはしぬ」とは穏やかならぬが、微苦笑を誘う。

《  もつともよく戦つた者だけが、もつとも深く
   眠る権利を有するのだ。おやすみ。消える友よ。  》 「高井戸  志水楠男を哀しむ」

 このように弔われる人は稀なるかな。1926−1979 昭和時代後期の画商。南画廊主。

《  人間の知る官能の
   対岸の闇で
   かれらは睦む。
   肩の骨を動かせば
   空中に浮く。
   いつもさらつと乾いてゐて
   汗をぽたぽたたらすやうな真似はしない。  》 「熱国鳥府」

 彼の詩からはぽたぽたとたれる汗のような、うざったい感じは全く伝わってこない。詩句の乱調も平静に回収される。 回収困難なことを悟られずにさっと回収、終結させる。大岡信は秀抜な優等生だったに違いない。

《  思へばおれもあはれなやつさ。
   ほんのけちな快楽と
   ほんのどぢな苦しみだけで
   まいにち生きていけるとくらあ。  》 「調布 VI 」

 同じことを他の詩人が歌えば、紛々たる生活臭の凡庸な詩に陥るだろう。秀抜で優等、理知的であるゆえ、 その詩には品がつきまとう。

 大岡信でネット検索すると、いくつかの誤字表記に遭遇する。『ぬばたまの夜、天の掃除器せまつてくる』は 「掃除機」に、『悲歌と祝祷』は『悲歌と祝』に。浜の真砂は尽きるとも、世に誤字の種は尽きまじ。 私が間違えても不思議ではないわな。

 ネットの見聞。

《 5月5日〜6日に日本の総理大臣がイギリスに来るそうだけど、九州が震災で大変なときに、何しに来るの? とロンドンの日本人たちや、今日オックスフォードで会った日本人たちみんな不思議がっている。 》 BASIL
 https://twitter.com/basilsauce/status/726542631711465472

 ネットの拾いもの。

《 以前、日本の駅で知人と離れ離れになり、全然知らない駅にたどりついた。 どこにいるのかを説明するため駅の外に行ったが、目印になるものと言えば、 巨大な男根が通りをパレードしていることだった。そこで初めて「かなまら祭り」 について知ることになった。 》

《 我々は決して変な宗教団体ではございません。個人個人が変なだけです。 》