「高島野十郎展」「カラヴァッジョ展」

 先日知人画家の新作展を見て、その様式の終わり=次なる展開を直感し、転進の予想を「妄想」に託して手紙を出した。 昨日画家から手紙が届いた。

《 館長がおっしゃっていらっしゃる妄想 ほとんどその通りです。 》

《 今の様式を続ける意欲、気力はおっしゃる通り、ありません。 》

 美術批評とは、作家の意図を十全に理解し、意図を超えた言葉にすることで応援することだろう。安易にはできない。

 案件が片付き、お、まだ間に合う、と「高島野十郎展」と「カラヴァッジョ展」を見に東京へ。短い滞在時間を考え、 まずは目黒区美術館の「高島野十郎展」へ。今世紀初の目黒区美術館。道順は昔と同じだったけど、周囲の風景が激変。 今浦島気分。で、高島野十郎の絵。印象は印刷とさほど変わらない。初期の岸田劉生ばりの写実から湿潤な気候を絵肌に 表現したような風景画へ。後期には彼と我の間のもわっとした雰囲気が前面に。そして一本の蝋燭。こんなものかあ。
 その足で上野、国立西洋美術館の「カラヴァッジョ展」へ。券売場には一組だけ。あっけなく入場。カラヴァッジョも初見。 会場はそこそこ混んでいるが、人が動いていくので、すぐに空間ができる。じっくり見られる。『ナルキッソス』1599年頃に 釘付け。『エマオの晩餐』にはゴッホの初期の『ジャガイモを食べる人々』を連想。面白いことにカラヴァッジョ以外の絵に 観衆がけっこう集まっていた。マッシモ・スタンツィーネ『アレクサンドリアの聖カタリナの頭部』には常に人だかり。 斬首刑にされた美女の青白い頭部の絵。日本人好みかも。嬉しいのは、ジョルジュ・ド・ラ・トゥールの絵二点の展示。 これまた人だかりが絶えない。カラヴァッジョに比肩する、あるいはそれ以上の技の冴えを見せている。『ナルキッソス』と ラ・トゥールの二点で満足。この二人は格が違う。それから常設展示などを見て回る。ユベール・ロベールの二点に再会。 うれしいねえ。そして近代〜現代絵画のあまりに早い賞味期限切れに驚く。ミケランジェロ・メリージ・ダ・カラヴァッジョ、 ジョルジュ・ド・ラ・トゥールらとはえらい違い。油彩画における伝統と革新を偉そうに考えてしまう。写実では先達に敵わない。 油彩画の技法では思いつかなった表現法を、近代の西洋人画家は日本の木版画に見出した。逆に高島野十郎は油彩画の物質再現力に 驚嘆(多分)し、その技術の獲得に邁進した。しかし、追随ではいかん、と日本ならではの油彩画描写を志した。和魂洋才か。 頑張ってはいるが。
 午後三時過ぎ、源兵衛川を伝って帰宅。ふう、水分補給。ガブガブ。

 ネットの見聞。

《 5月は35日まであります 》 池澤春菜
 https://twitter.com/haluna7/status/737801826896994305

 昨日の見聞、古本屋ツアー・イン・ジャパンとつながる話題。ケストナーの本か。

《 先日某ジャズ専門店の階段を上がっているとかっこいいバップテナーが流れてきて、(デクスター・ゴードンか? いやノリが違うしフレーズも新しい。新人やな。ええテナーが出てきたなあ)などと考えながら売り場につくと 「サキソフォン・コロッサス」だった。ロリンズはいつの世にも新しい。←言い訳 》 いかふえ
 https://twitter.com/ikafue/status/737997543120900098

 ネットの拾いもの。

《 安倍「リーマンショックの前に似ているということで各国で認識は一致した」
  日本の報道「さすが総理!」
  外国「一致してねぇよ!」
  外国「アベノミクスの失敗だろ!」
  外国「世界経済のせいにするなよ!」
  安倍「リーマンショックの前に似ているなんて言ってない」
  日本の報道「言ってないっす」 》