「絵画をめぐる走り書き」

 印象派は絵画のパンドラの箱を開けてしまったのかな、とふと思う。古典絵画はまず技術を修得しないとモノにならないが、 印象派以後の絵画には技術よりも感性、思想だぜ、というひっくり返った思い違いの、自称画家が陸続と発生した。

 昨日書いたように、ルノアールにも秀作もあれば凡作もある。問題はピカソだ。ピカソの悪戦苦闘、私には悪あがきとしか 思えない変貌をどう考えるか。
 作者の発言は無視し、まずは絵画そのものの品格、品質を考える。壮大な野心作にして見事な失敗作という見方をしてみる。 失敗作には失敗作なりの面白さ、興味深い特徴がある。では、成功作とは、と考える。

 絵画において未完、完成、失敗、成功、秀作、凡作の判断は、その時代の思潮に大いに左右される。新作発表時に失敗、成功 (賞味・称賛期限の長短)を判断するのは困難であり、無謀といえる。でも、それが何よりも面白い。

 新人の新作を鑑賞し、この作家は伸びてゆくかを予測すること。その困難な無謀ともいえる判断こそ賭けだ。あえて名前は 挙げないが、私が期待し応援した作家は伸びた。物故作家では小原古邨の木版画。画家事典などに未掲載の全く未知の画家だが、 これはいい、と直感。その判断は間違っていなかったと思う。
 http://web.thn.jp/kbi/koson.htm

 絵画の歴史を動かした画家、後世に(も)評価される絵を描いた画家。私は後者を好む。それは埋没美術品の発掘でもある。

 西洋美術館のカラヴァッジョ展で、おお、と感嘆したのは一点。その一作で充分、歴史に残る(残った)。

 数多くの優れた作品を見てくると時代、様式を取っ払い、好みを超え、良し悪しを直感で判断するようになる。それにしても、 作品の栄枯盛衰、忘却の底〜劇的復活は何なんだろう。ジョルジュ・ド・ラ・トゥールヨハネス・フェルメール、カスパー・ ダーヴィト・フリードリヒ、伊藤若冲河鍋暁斎田中一村……。

 優れたテクニック、卓越した技を当然に、同時代の本態に深く感応する突出力。同時代の制約からの逸脱を企てる突破力。 双方を統合して初めて時代を超えうる作品ができる。

《 様相とは、ものごとが〈何であるか〉という意味での〈ある〉ではなく、そのものごとが〈いかにあるか〉という意味での 〈ある〉、つまりそのあり方についての規定を言うが、それは当然われわれがそのものごとをどんなふうに捉えているか、 どんなふうに認識しているかという認識の様相とも密接に結びついている。 》 木田元『偶然性と運命』岩波新書2001年初版、 77頁

《 だからこそ、この出逢いを機縁として時間性の再構造化も起こりうるのであろう。 》 同上198頁

 優れた絵画は、対面する人に時間性の再構造化を惹き起こす。絵画の歴史は、常に再構造化される。

 ブックオフ長泉店で二冊。岡井隆『現代百人一首朝日新聞社1997年3刷、鹿島茂『悪の引用句辞典』中公新書2013年2刷、計 216円。前者は文庫本で読んでいるけど、単行本の大きい活字はまた違った味わい。後者は毎日新聞の連載で面白かった。

 ネットの見聞。

《 ピカソは生涯、七人ほどの女性と長期の同棲や結婚をした。恋に落ちるたびに描く絵も変化させた。ただし、気持ちが冷めると、 相手のことを、馬や醜い老婆、犬、ヒキガエルなどになぞらえて醜く描いた。 》 フランス書院文庫編集部
 https://twitter.com/franceshoin1985/status/737997214476316672

《 留置場入った日本死ね!!! 》
 http://anond.hatelabo.jp/20160602154923

《 スパイ父親「これから潜入者としての試験を行う。お前を森林に置いてから5分後に私が、3時間後には警察と自衛隊が お前を捜索する。お前はこれらの追尾を完全に振り切り、指定した自衛隊駐屯地に潜入できれば合格だ。制限時間は1週間。いくぞ。」

  スパイ見習い息子(無言で頷く) 》 DBM(駄文の人)
 https://twitter.com/DBM_/status/738533346897059840?lang=ja

 ネットの拾いもの。

《 「寺にAEDは必要か」 》