「風の影 虚数」

 印象派は写実絵画の窮屈な形式=フォーマル=正装を脱ぎ捨てて、カジュアル=普段着としての絵画を創出した、のかな。堅苦しい取り決めはもう無しにして、もっと気軽にいこうよ。1960年代のヒッピー・ムーヴメントみたいな。カジュアルが崩れてボロ着ファッションへ。絵画にもあるある、だな。そんな運動〜流行が二十世紀を駆け巡り、一廻りやり尽くして二十一世紀には落ち着く、か。どんなかたちで、どこへ到達、着地するか。見る=感じるという視覚=快感という図式から視覚・触覚=感じる快感へ、か。いや、優れた絵画は視覚に訴えるだけれなく、触覚にも訴えてくるところがある。予想予測するよりも、自らの実体験に基け、だ。体験を深めて経験を積め。

 心地よい風。風は見えないけれど、全身に風を受ける心地よさ。モネの絵『散歩、日傘をさす女性』1875年にはそんな爽風を感じる。モネの爽風に対して、味戸ケイコさんの絵には「風の影」を感じる。これは味戸さん独自のものだろうと思う。まだうまく言葉にまとまらないが。
 遠近の空間、空気感が特に油彩画では話題になることが多い。遠近の空間、空気感といった雰囲気を表現するのに油彩画は力を発揮する。カラヴァッジョ、ジョルジュ・ド・ラ・トゥールらは、その技にじつに長けている。光と闇をうまく配置構成してその場の劇的な空間の雰囲気を創りだしている。
 味戸ケイコさんは、光と闇という伝統的な対比法ではなく、風の影を描いている、と最近考えている。おそらく味戸さん自身考えずに描いていると、勝手に想像しているが。風には影なんかあるか、と突っ込み=嘲笑があるだろう。が、数学に虚数があるように、平面の絵画にも虚数のような要素があっても不思議ではない、と思うが。

 ブックオフ三島徳倉店へ自転車で行く。アレン・カーズワイル『驚異の発明家(エンヂニア)の形見函(上・下)』創元推理文庫2007年初版、赤瀬川源平東海林さだお『老化で遊ぼう』新潮文庫2008年初版、計324円。
 『昭和文学全集』小学館が多分、35巻並んでいた。お値段は定価4120円が1500円強から200円までいろいろ。私は『34 評論随筆集 II 』1989年初版だけ持っているが、このあたりの巻は200円。値段の付け方がわからない。気になった大岡信山崎正和ら収録の『28』は200円だけど、びっちり三段組で読む気力は失せるわ。

 ネットの見聞。

《 これは翻訳の問題でもある。多和田葉子カフカの『変身』を「変身(かわりみ)」とルビを振って訳している (すばる)。かつて「理想の教室」(みすず書房)シリーズで、野崎歓カミュの『異邦人』を「よそもの」と訳し、合田正人サルトルの『嘔吐』を「むかつき」と訳したときにはどこか腑(ふ)に落ちるような感じがあったが、「変(かわり)身(み)」には違和感しかなかった。「かわりみ」という言葉の持つ語感と小説とが一致しないからだ。 第一文を読んで、これはもうまともな日本語ではないと思った。まともでない小説をまともに乱れた日本語で読みたいと思うのは、贅沢な望みなのだろうか。 》 石原千秋ファイアウォールとしての文学 5月号」
 http://www.sankei.com/life/news/150426/lif1504260023-n3.html

 「変(かわり)身(み)」を褒めている記事があった。違うだろ、と思った。同じことを思っている人がいた。 去年の記事。

《 印相体、開運印鑑の嘘・デタラメ 》 【手彫り印鑑のブログ】
 http://tebori1.blog.fc2.com/blog-entry-140.html

《 「(米国の盗聴に対して)どうして日本政府は公に抗議しないのか? もし抗議しないのなら、それは自ら進んで 不適切な扱いを受け入れているのと同じことです。自分で自分に敬意を払わないで、 どうしてだれかに敬意を払ってくれるよう頼めますか?」 》 兵頭正俊
 https://twitter.com/hyodo_masatoshi/status/742316780878585856

《 渋いおじさんたちが大集合して国を救う話はゴジラがやってくれるみたいなので、次には美しい大人のお姉さんたちが 総集合して国を崩壊させる映画を作って欲しい。 》 ジロウ
 https://twitter.com/jiro6663/status/742194674702516224

 ネットの拾いもの。

《 またしてもアベシンゾーは、「EUが〜」とか「イギリスが〜」とか、他人のせいにするのかねw 》

《 「マスゾエする」 》

《 舛添辞めさせて橋下選ぶって、ウンコを避けようとして肥溜めに落ちるような感ある。 》