昨日午後、楽寿園で催されている手創り市のサニーボーイブックスで購入した山下賢二『ガケ書房の頃』夏葉社 2016年初版についてきた小冊子『SUNNY 03』の最初の執筆者が古川日出男「BOY:この言葉を定義しなさい」。
http://shizuoka-info.jugem.jp/?eid=971
http://www.sunnyboybooks.jp/
《 今、「その行為だけで」と僕は書いたが、踊りというのはまさに体を張った表現なのであって、つまり捨て身である。 そういうのが僕にとってのガールズだ。 》
《 たぶん駄目ではない。なぜならば、ガールズが素晴らしい存在なのはそれと比較されるボーイズがいるからで、 彼女たちから見た「幼稚なあいつら」がいなければ、そもそもガールズは輝かないのだ。 》
たったニページの短文だが、はっと気づかされた。先だって恵まれたフリー・ペーパー『南大分マイタウン』の記事 「こんにちはお嬢さん」は「20才 女優・歌手」畠中清羅さん。知らなかったが、気になる雰囲気を持っている。 清羅は「せいら」と読む。大好きなセーラー・ムーンじゃないかい。古川日出男の言うガールズの一人だ。
古川日出男。私は彼の傑作『アビシニアン』幻冬舎2000年初版にぞっこん。冒頭。
《 十億年がすぎて、わたしは東横線に乗りこんだ。ここまで来れば、都心まではあと一歩だった。制服のスカートの うえで組んだ両掌(りょうて)が今にも踊りだしそうになる。 》
ここにすでに踊りが。それにしても、「ガールズ」と「少女」の隔たり……。昨日の大岡信『春 少女に』表題作。 その結びの連、二行。
《 でもきみは知つてゐてくれ 秋の川を動かして人の堤をうち砕く力こそ
春の齢(よはひ)に頂きにきみを置いた力なのだ 》
ガールズか。それは少女ではない。沼津市芹沢光治良記念館で開催中の「光治良と少女小説展」のチラシには少女、 娘、乙女また深窓の令嬢といった趣の本の表紙絵。そこにはモガ(モダン・ガール)は見かけない。それにしても、 ガールではなくガールズ。セーラー・ムーンか(そこへ行くか)。
http://www.city.numazu.shizuoka.jp/kurashi/shisetsu/serizawa/tenji/doc/syoujyo.pdf
きょうはジャズマニアには当たり前、ビリー・ホリディとジョン・コルトレーンの命日。映画ファンなら市川雷蔵。
ネットの見聞。
《 吉本隆明『日本近代文学の名作』を読みました。著名作家24人が文庫5ページ相当に。代表作と言われてないものも 取り上げられているのに感心しました。毎日新聞連載記事(吉本談を記者まとめ)+書き下ろし。語り口、松岡正剛が 影響受けてますね。 》 ISOGAI
https://twitter.com/ISOGAI_1/status/754301131392557056
気づかなかった。
《 久しぶりに『とと姉ちゃん』。ふと思い出して引っ張り出した『暮らしの手帖』96号戦争中の暮しの記録特集 (1968年夏号)。あとがきの花森安治さんの言葉に強い思いを感じる。 》 青山ゆみこ
https://twitter.com/aoyama_kobe/status/754163530178306048
久しぶりに『暮らしの手帖』96号戦争中の暮しの記録特集を取り出す。これは新刊で購入。定価280円。
ネットの拾いもの。
《 生前退位が行われたら「昭和生まれなのに平成のうちに結婚出来なかった皆様、御機嫌よう」という 最強の煽り文句が生まれるわけだ。 》 コトキル
https://twitter.com/e_fguna/status/753866619449778176