「水を汲む」

 きょうも暑い。34.4度。まつりは熱い。しかし、昨日のような昇竜の勢いからやけっぱちな印象。交通規制の前に 近所のスーパーまで自転車で食料の買い出し。寄り道して源兵衛川を望む。おお、人ばっか。帰宅。本棚から竹西寛子 『水の断章』淡交社1991年初版を題名に惹かれて抜く。冒頭の「水を汲む」から。

《 型をこわすのに時間はいらない。こわすのはやさしい。だが造るとなれば、どんな型でも生やさしくはないと思う。 型の不自由をかけがえのない自由として心弾ませた人の作品は美しい。それもたいてい奥深く美しい。 》 8-9頁

 今は水を汲む、ということをほとんどしない生活だ。「水を汲む」しぐさ、特に女性のしぐさに美しさを感じる。 今は水を飲む、ペットボトルから水を飲む元気な女性!だからなあ。と書いて冷蔵庫のペットボトルの水を飲む。 冷たい水だけで美味しい。先だって聞いたネパールの水事情。山清水の綺麗な水はあるのに有効利用できない。 興味深い課題だ。……ここまで書いて睡魔の誘惑〜お昼寝〜。農兵節は子守唄。つづく三島サンバ隊でガバッと覚醒。 ゴジラ覚醒〜。おお、高校生は弾んでるわあ。踊る若い人たち、行き交う若い人たち。この和やかな賑わい。いやあ、 まだ日本に希望を持てる。

《 それらの水にまじって、どうしても書いておきたいのが、手押しポンプで吸い上げていた井戸水のことである。 》  「水を汲む」11頁

 源兵衛川上流部の手押しポンプは子どもに大人気。きのうもずぶ濡れになって遊んでいた。母親は「着替えがあるから 濡れていいわよ」。三島の風景だ。

 今世紀、美術、芸術の概念は気づかぬうちに内実が変容している、と感じる。日本の美術、芸術概念は昭和の時代の まま、という気がする。アート・ビジネス界も今後その状況がえらく変化するだろう。感じる、思うばかりだが、 潮流の大変化の渦中にいるときには状況がなかなかわからないものだ。そんな何かを感じるときには自らの直感を信じる。 間違っても自分の責任。

 ヤフー・オークションにも出品している人の奥さんの話。「業者の市で百号二百号の大きな絵がいくらでもいいから、 と言われるけど、誰も買わないの」。そんな大きい絵は邪魔なだけ。個人住宅にふさわしい小ぶりな絵が求められる。 団体展に出品された大きい絵はどこへ行くのだろう。産業廃棄物だからなあ。仄聞するところ、潰される。

 ネットの見聞。

《 住宅は人の暮らしの全てが集約する空間なので、住宅をつくったり、見たりするとき、衣食住あらゆることに興味、 知識、経験があればあるほど色々なことが読めてくる。逆にそういうものが少なければ少ないほど、 色々なことを見逃してしまいがちだ。 》 高橋正明
 https://twitter.com/buzzmeak/status/765038118059712513

《 NHKスペシャル「ふたりの伝道者」、とてもいい番組だった。「無知は無理解を生む。無理解は憎悪を生む。 増悪は世界相克の道を開く」(真珠湾攻撃の総指揮官・淵田美津雄)。そのとおりだだと思う。 》 豊崎由美
 https://twitter.com/toyozakishatyou/status/765156233988845569

《 直木賞という文学賞をイマイチ好きになれないというか、信頼できない理由のひとつが、佐藤賢一の『王妃の離婚』 に授賞していながら、佐藤亜紀の諸作を候補にすら挙げなかったこと。後者のほうが素晴らしいのは明らかなのに。 男が“ヨーロッパかぶれ”になるのはいいけど、女は許さんということかな? 》 豊崎由美
 https://twitter.com/toyozakishatyou/status/765474509847527424

 ネットの拾いもの。

《 エサを忘れられた猫の恨めしい表情 全身全霊で行かせぬとアピール 》 livedor NEWS
 http://news.livedoor.com/article/detail/11891641/

《 シンゴジラの第1形態と第2形態を勘違いしてる方が結構いらっしゃるようなのでまとめてみた。 最初は第1と第2だけにしようと思ったけど、それぞれに通り名がついてて面白かったから第3と第4も。 蒲田くんかわいい 》 すいう(第2形態)
 https://twitter.com/JD_merry__G/status/765562075812810752

《 空気が熱い。近くにゴジラでもいるのか? 》